同棲部屋と落桜


 一度も花見をすることなく、春が過ぎ去ろうとしている。これは僕にとっては結構レアなことだ。これまで毎年最低1回は、桜の木の下で大手のビールを飲んでいた。だいたい缶のまま。コンビニやスーパーで買った海苔巻やポテトチップスとともに。

 今年は本当に天候に恵まれなかった。開花直前頃はポカポカ陽気の日もあったけど、咲いてからはずっと寒かったり、天気がぐずついていたように思う。個人的な事情も僕を桜から遠ざけた。新居への引っ越し作業、新しく舞い込んだ仕事、息子の保育園入園、遠方からの来客などが重なり、とかく慌ただしい春だった。

 今、桜は完全に散ったわけではなく、枝に留まる力を失い、ハラハラと地面へと落ちている。雨が降っているわけでも、風が吹いているわけでもないのに。そんな静かに舞う桜を見るのも悪くない。むしろ、桜は最後まで楽しませてくれる素敵な花だなあと思う。

 あれは20代の入口の頃だった。まだ「結婚」の2文字なんて全く視界に入っていなかったときのこと。大学の友人が周りに先駆けて同棲生活を始めた。すごいなあと思い、色々なことを根掘り葉掘り質問した。何時に起きて何時に寝るのか?それは二人同時なのか?窮屈ではないのか?楽しいのか?etc。友人は得意げに答えてくれた。女性と一緒に生活を送るというのは、一体どういうことなのか。自分にはできることなのか。そもそも、そんな相手が現れるのか。僕には皆目見当がつかなかった。羨ましいとは思わなかった。羨ましいと思える地点すら、当時の自分にはまだまだ遠く先にあるような気がした。

 関西の実家を離れて一人暮らしをしていた友人は、同棲にあたって引っ越しをすることがなかった。つまり、6畳のワンルームで同棲を始めていた。どちらかというと、彼女が転がり込んできたような形だった。その夜、僕と友人は2人で飲んだ。同棲相手は別の場所で、女の友達と飲んでいるという。飲みが終わると、友人の家に泊めさせてもらうべく2人で歩いた。家で飲み直していたら、同棲相手とその友人も帰ってきて4人で飲む。という流れになっていたのだけど、女性2人はなかなか現れず、結局僕らは床でそのまま寝てしまった。

 朝、ぼんやり目が覚めると、複数の寝息が背中の方から聞こえた。「あ、彼女さんたちも帰ってきてたんだ」とすぐにわかったのだけど、僕は前方のベランダを眺め続けた。なんとなく女性達を見るのは悪い気がしたのだ。そして、すぐにベランダの木から舞い降りてくる無数の桜の花びらに絶句した(元々一言も発していないけど)。

 木々の間から射す春の陽光は穏やかで、干されたトランクスを見ても微動だにしていない。それなのに、桜の花びらがハラハラハラハラと弱い雨のように落ち続けていた。あるものは螺旋を描き、グレーの洗濯機の上に落下し、トランクスにも4~5枚の花びらが付いていた。「こんなにたくさん降ったら、すぐ枝だけになってしまうんじゃないかな?」と一人思ったのだけど、30分くらいその光景は続き、まだまだ続きそうな様相を見せていた。僕は飽きもせず落桜ショーを眺め続けていたのだ。

 「ピピピ、ピピピ」と友人のケータイのタイマーが鳴り、僕と友人だけ外へ出ることに。シングルベッドの上をチラッと見ると、女性の寝顔と後頭部が一つずつ掛け布団から出ていた。靴がひしめく薄暗い玄関から外へ出ると、春の太陽はあまりにも眩しかった。

 「ねえ、あの子と結婚は考えてるの?」と僕が聞くと、「そりゃ、考えてるよ」と友人は前を見て言った。だけど、友人はあれから30代半ばまで独身を貫いている。誰よりも早く同棲を始めたにもかかわらず。早過ぎる同棲もよくないのだろうか。今度、会ったらまた根掘り葉掘り質問してみようかな。でも、今度は嫌な顔をされるかもしれないな。

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