安かったのに異常に旨かった限定ビール


 最近、カメラを向けられたとき、ピースサインを取らなくなっている。

 ちょっと前までは常にピースサインをしていた。カメラを向けられて何もしないのは無愛想だと思っていたし、自然に微笑むことなんてできない。ピースをすることは撮影者へのサービスであり、照れ隠しも兼ねていた。また、ポーズとして無難だと思っていた。ビールのつまみに枝豆を用意しておけば、まあ間違いがないだろうといった。つまり、思考停止していた。

 が、少し前にピースをして注意されたことがあった。それは、子どもの行事のとき。夫婦ともにスーツを着て家族写真を撮る際、カメラを向けられた僕は条件反射的にピースをした。すると、「それは止めなさい」と義母に諭された。そのとき僕は、ピースサインが無条件で許されていた時期を過ぎていたことを悟った。

 大学時代、友達と3人で自転車に乗って東京から仙台を目指した。寝袋をかついで、国道6号線をひたすら北上。夜になると移動を止め、銭湯と寝床を探した。そして、ひとっ風呂浴びた後に公園の適当な場所で寝袋を広げて眠った。

 当時、僕らはまだ18か19歳だった。夏に自転車で旅をすることも、公園で野宿をすることも世間的に許されていた。むしろ色々な世代の人に応援され、羨ましがられもした。だが、もし全く同じことを30代の男3人がやったらどうなるだろう。「中年の男が3人、公園で倒れています!」と通報されるのがオチだろう。もちろん、やろうと思えば今でもできるのだけれど、「頭大丈夫?」「家族は何て言ってるの?」「仕事は?」など世間の冷たい目線に耐える覚悟が絶対必要になる。「若いうちにしかできないことをやれ」という決まり文句を若いときによく聞いた気がする。当時はあまりピンとこなかったけど、今はそういうことか、と実感できる。

 仕事が終わった後、公園で缶ビールを飲む。これも新入社員か、せいぜい入社3年目までしか許されないことだと思う。

 僕が大学卒業後に入った会社には一歳上の先輩ライターがおり、席も隣だった。終業後、よく二人でコンビニへ行ってビールを買い、公園や道のガードレールに腰を掛けてビールを飲んでいた。街灯の下で。それが最も安上がりな方法だった。

 入社一年目の年は色々なことが起きて、一人暮らしも生まれて初めてだったこともあり、人生が大きく変わっていった。ベルギービールの多様な世界に触れたのもこの年だ。そんな中でも、先輩と公園で飲んだ缶ビールのほろ苦い味は、忘れられない美味として記憶に刻まれている。

 フレッシュマンのときにしか飲めないビール。もちろん、ごく普通の大手のビールだ。でも、今から思えばあれは、どんな限定ビールよりもおいしい限定ビールだった。

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