沖縄移住の夢が消えた瞬間


 沖縄とは縁のある人生だと思う。新婚旅行は石垣島だった。結婚前にも二人で遊びに行ってるし、ラジオの仕事で訪れたときにはちょうど東日本大震災が発生した。人生の節目節目で沖縄を訪れている印象がある。

 つい先日、取材で石垣島に行っていた。拠点は山陰ながら全国にネットワークがある会社の案件で、石垣島の設計事務所の社長さんに長時間にわたってインタビューした。滞在初日は事務所で話を伺い、2日目はレンタカーを借りて島最北の平久保崎灯台や玉取崎展望台、サンセットビーチなどを訪れてイメージカットの撮影をした。山陰の仕事でライターがカメラマンを兼ねることはよくあるのである。

 夜は2日間とも沖縄の絶品料理に舌鼓を打たせてもらった。特に石垣牛のにぎりの美味しさは忘れられない。もずくの天ぷらは初めて食べた。オリオンビールの生も2日間でトータル10杯は飲んだ。自分が持つ数少ない技術「書くこと」で仕事をいただき、さらに石垣島を満喫できるなんて恵まれているなあと実感した(まだ原稿は執筆していないのだが…)。

 初めて沖縄を訪れたのは、高校2年の修学旅行のときだった。その数日前に、日本がサッカーワールドカップフランス大会の切符を掴んだ、いわゆる“ジョホールバルの歓喜”があり、沖縄で帰国後の選手団の出演番組を見ていた。当時から無類の寒がりだった僕にとって、沖縄はまさに夢のような場所だった。暖かいうえに、日本にいるという現実感がなく、また海外という非現実的な空間でもない。一気に魅了された。

 大学入学後、僕は一つの決意とともに沖縄へ一人飛び立った。その決意とは「将来、沖縄に住もう。今回はどこに住むかを決める旅だ」というもの。移住の本まで買っていて結構本気だった。そのときは7泊8日の日程で、本島を一人ぐるっと一周した。最北の辺戸岬までバスで行ったくらいだ。拠点は那覇の素泊まり1500円の民宿だった。民宿のおじさんはびっくりするくらい優しく、車を出して一日南部観光に付き合ってくれたこともあった。

 あれは一人中部あたりを回って那覇に帰ってきたときのことだ。

 バスが県庁の前を通った。そのとき、たくさんのスーツ姿の人々を目にした。ちょうど終業の時刻だったのだろう。少し雨が降っていて、傘をさした灰色や黒のスーツに身をまとった男性たちの群れがそこにあった。僕は深く失望してしまった。

 沖縄にもスーツ姿で仕事をしている人がいるんだ…と。

 当時、僕の中でスーツは不自由の象徴だった。たぶん大学時代の僕は、寒さから逃げたいと同時に、ひたひたと迫る社会人生活から逃げたいという浅はかな思いも抱いていたのだろう。沖縄県庁前に広がるスーツの群れを見た瞬間、僕の沖縄移住計画はあっさり消えた。沖縄は楽園なんかではなく、ここにはここの日常があるんだ。ごく当たり前のことだけど、その現実を受け入れたのだった。

 その後、僕は長かったモラトリアムを終え、社会人生活をスタートさせた。広告制作の仕事だったのでスーツを着ることはなかったのだけれど。そして、その10年後、移住することにもなった。沖縄ではなく、鳥取ではあったけれど。これからもきっと、人生の節目節目で沖縄を訪れるに違いない。

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