僕の演歌観が変わった日


 最近、仕事の必要性からAMラジオを聞いている。すると、FMではほぼ流れない演歌が割と頻繁にかかる。10代の頃は古臭くて嫌悪感を抱いていた演歌。今耳にすると、しみじみいいなあと思う。

 人生で一番最初に「演歌っていいものだな」と思った瞬間を明確に覚えている。

 大学時代、青森県に住むある漁師と仲良くなった。年齢は僕の2つ上。下北半島の僻地に暮らす彼にとって、職業選択の自由は限られたもの。10代のときに町を出て一時期料理人をしていたが、すぐに地元へ戻って家業の漁師を継ぐことになった。社会人になった僕は、冬休みを利用して彼に会いに行った。冬期はフェリーが欠航になりがちなので、陸路で向かうことに。電車の終着駅で彼は待っていてくれた。彼の車に乗り込み、下北半島の奥の奥へ。駅では晴天だったのにいつしか雪がちらつき、頭上には厚い雲が垂れ込め、風も強くなった。夏しか訪れていなかった下北半島は世界が違った。

 途中、彼が何気なくCDを変えた。流れてきたのはド演歌だった。僕が「え?演歌?渋いなあ」と冗談めかすと、「これ鳥羽一郎っていうんだけど、歌詞とかすげえ共感できるんだよ」との返事。確かに漁師の生活を歌った曲だった。それまで演歌なんて年寄りが聞くものだという思い込みがあったけど、20代でもこうして演歌を聞き、歌に支えられている人がいる。それが、あまりにも意外だった。それ以上に驚いたのは、雪景色と遠くに海が見える状況で聞く演歌がとてもしっくりきたことだった。僕の演歌に対する思いが劇的に変わった瞬間だった。

 かつて母からこんな話を聞いたことがある。ニューヨークで生活をしていた頃、日々の雑事に追われて余裕がない中、ふと出掛けた映画館で高倉健主演の作品を観た。エンドロールとともに流れた演歌で、涙が止まらなくなってしまった、と。異国で聞く演歌は沁みるのよと教えてくれた。その後、僕もジャカルタの飲食店で演歌を聞いて、不覚にも涙が流れそうになったことがあった。親子だな、と言うより、日本人なんだなと思った。

 北陸から九州へ日本半周の旅をしていたときも、印象的な演歌の記憶がある。確かあれは佐賀にいたときだったと思う。勇気を出して地元のスナックに一人入り、カウンターで瓶ビールを空け、焼酎の水割りを飲んでいると、横にお年寄りの男性が座った。いつしか店の中でカラオケが始まると、黙りこくって酒を煽っていた隣の男性が歌いたがった。彼が選んだのは、五木ひろしの「酒尽尽」。出だしの「忘れるために飲む酒は かならず想い出酒になる」という一節で、僕は心打たれてしまった。歌はお世辞にも上手ではなかったのだけど、酒を飲むのを忘れて聞き入ってしまっている自分がいた。

 年齢とともに趣味嗜好は変わってゆく。演歌へと流れていったように、飲む酒もいつしかビールから日本酒へ変わってゆくかもしれない。まあ、そうなったら日本酒エッセイを書けばいいか。

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