「常識的に考えてそれはない」がない妻とよくある夫


 浴槽を洗うブラシ一つに人生観が現れることがある。

 この前、妻に「お風呂のブラシ、すごい汚かったんだけど」と唐突に言われた。はて?お風呂のブラシ?確かにお風呂洗いは僕の担当である。妻は続ける。「浴槽洗った後、ブラシ洗ってないでしょ?」。言われてみれば、お風呂を洗うのは熱心でもブラシを熱心に洗った記憶はない。それどころかブラシ自体を洗うという発想がなかった。「ああ…うん、そうかも…」とぼんやりした僕の返事に妻は、「普通は洗うよ」と捨て台詞を残して去って行った。

 一緒に生活をしていると、こういう指摘を受けることがままある。例えば、

・100円ショップで買ったサンダルでどこへでも行くのやめて。
・なんでビリビリに破れたバスタオルを使い続けてるの?
・Yシャツのボタンを付けたままTシャツみたいに着るの変じゃない?
・すぐ横に置いてたパッキンをなんで水筒に付けなかったの?

 などなど「常識的に考えてそれはない」ことばかりらしい。こう挙げると服やファッションに関することが多い。僕が自分で選択したコーディネートに駄目だしされることもよくある(ブツブツ言いながらも従う)。
 
 身の回りのことだけではなく先日、ビール祭で飲み過ぎて駅のベンチで結構長い時間寝てしまったときは「もうそういうのやめて。信じられない」と言われた(これに関しては120%僕が悪い)。常識に照らし合わせておかしいことをやるのは必ず僕なのである。




 よし、反撃してやるぞ、そっちだって!…と意気込みたくなるのだけど、妻の行動や価値観などで「常識的に考えてそれはない」ということがない。口惜しいことに。むしろ、「この人はとんちんかんなことを決してしないだろう」という安心感がある。

 それで思い出すのがフランス旅行に行ったときのこと。パリの駅で電車が出発間際の時間にもかかわらず、買い物か何かで離ればなれになったことがあった。僕は生後7カ月の長男を抱っこして駅のホームで待っていた。20分くらい余裕があったのに、あと7分、6分…と発車時刻が迫る。少しずつ焦りが出てくるのだけど、「彼女は発車時刻をわかっている。絶対に戻ってくる」と妙に安心したのを覚えている(実際に程なくして戻ってきた)。

 あれ、たぶん逆の立場だったら、妻はきっと不安になったのではないかと思う。「あの人、買い物の途中でビール売場を見つけて、時間を忘れて見てしまっているんじゃないか?」とか。そう考えると実に申し訳ない気持ちになってくる。僕が常識外れのことをやらないか、常にハラハラしていないといけないのだ。

 僕は「妻が常識外れのことをしたり、言ったりしないだろう」と思えることで大きな安心感を得ている。僕は人の愚痴をよく聞くのだけど、だいたい他人のおかしい言動をまくし立てた後、「あり得ないでしょ?」で締める。「常識的に考えてそれはない」話が愚痴の多くを占めている。つまり、身近な人が自分の常識の範囲内の言動をしていれば、多くの人はハッピーなのである。

 自分ばかりいい思いをしているのも悪いから、自分も常識人になって妻を安心させてあげたいなあと思うのだけど、まあ今から常識を身に付けるのは難しいかもしれない。せめて言われたことを一つずつ守るだけ。さ、今日からお風呂のブラシを洗うことを意識付けるか。