一本の線でしかつながってない異性の友達の話
- POST DATE:2018.03.15
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- KEYWORDS:ビールがあまり出てこない, 追憶
3月に入って一気に暖かくなり、今や桜の開花の報道がされるようになってきた。東京の開花予想日は今のところ3月17日とのことで、例年よりかなり早くなっている。ちなみに、東京の歴代最速開花日は2002年および2013年の3月16日で、最速満開日は2002年の3月21日だそうである。
この記録的に桜の開花が早かった2002年のことを強烈に覚えている。なぜなら、僕はその年の3月23日によみうりランドで行ったイベントの運営責任者だったからだ。予想もしていなかった満開の桜のなかで(よみうりランドは桜の名所でもある)開催したのは「ガクタツ2002」という大学の枠組みを超えた総合学園祭のようなイベントで、前例のない初開催ということもあって僕は大学3年次の一年間をその一日のために費やしていた。
大学3年の一年間は怒涛の日々で尋常ではなく忙しくなり、睡眠時間が1~2時間程度しか取れない日が続くこともあった。よく死ななかったなと思うけど、まあ僕も若かった。なんせ21歳だったのだ。僕らスタッフは15人くらいの態勢でイベントに参加してくれる学生団体を勧誘していた(150団体が目標だった)。10月から11月にかけての学園祭シーズンはまさに絶好のチャンスで、僕も東京中の大学を駆けずり回った。そんななか、ある女の子と出会う。
東京の西にある某大学。その日も僕は原付で一人大学を訪れ、教室で展示や発表をしているサークルに片っ端から声をかけていた。その教室が何の発表をしていたかは忘れてしまったけど、受付の女の子がすごく可愛かった(のちに橋本環奈を初めて見たときに“あの子に雰囲気が似てる!”と思ったほど)。結構長いこと雑談をして盛り上がった後、本題に入るとサークル長の男性を紹介され、その男性に持参したビラを使いながらイベントの紹介をしたのだった(結局、参加には至らなかった)。
20~30の団体に声をかけたものの勧誘はなかなかうまいこと行かず、ため息をついて外に出ると、キャンパスの中庭に特設ステージが組まれていた。学生バンドが下手くそな演奏をしているのを眺めながら、「この後はどうしようかな…」と考えていた瞬間、ステージを見ていた目の前の子がたまたま後ろのこちらを振り返って目が合った。先ほど雑談を交わした受付の子だった。後にも先にもこんなドラマのような経験をしたことはない。
以来、僕らは連絡を取るようになった。そして、桜が散って生活が落ち着いた後、約束をして数カ月振りに再会し時々会うようになった。大学卒業後もたまに会い、よく一人暮らしをしていた下北沢で飲んだ。まだ神田の「地ビールハウス蔵くら」が下北にあった頃で、蔵くらやバーで飲んでそのままうちに泊めた。初めてディズニーシーに行ったのも彼女とだった。決して付き合っていたわけではないのだけど、たまに会ってデートのようなことをしていた。
が、いつしか連絡を取らなくなり、全くの音信不通になってしまった。出会い方がそんな感じなので共通の知り合いが一切いない。お互いの交友関係のネットワークから離れた一本の線でしかつながっていないので、その線が切れると別の線でたどることができなくなる。本当にジ・エンドだ。
よくよく考えてみると、大学入学から20代の頃、僕の周りはそんな異性の友達ばかりだった。今は懐かしきミクシィに届いたメッセージから会うことになったり、飲み屋の隣同士で仲良くなったり、シンプルにナンパで知り合ったり、何かのイベントの参加者同士で意気投合した初対面の男性に「今度おいでよ」とホームパーティーに呼ばれて新たな女性と出会ったり。自分でもよくわからない関係性の友人がすごく多かった。
今、彼女たちの顔をいくつも思い出せるのだけど、一人の例外もなく全員が僕の人生から消えていった。あるいは彼女たちから見たら、僕の方が消えた謎の男として記憶に淡く刻まれているかもしれない。
当人同士のわずか一本の線でしかつながっていなかった彼女たち。その線は儚くもことごとく切れてしまったけど、僕の人生の一時期を鮮やかに彩ってくれたことは間違いない。鮮烈な印象と心がじんわり温かくなるような時間を残してパッと散ってゆく感じは、それこそまるで桜のようだった。