「苦いビールを飲めてこそ大人」という価値観が消滅する日
夕飯を食べながらビールを飲むことがよくある。4歳と1歳の息子たちはビールに興味津々。特に下の子は「お酒」の概念をよくわかっていないので、「飲ませろ~!」という感じでよく駄々をこねている。
もちろん飲ませることはないのだけど、そんなときに香りを嗅がせることがある。かつての子ども達はビールの香りがそれほど魅力的には映らなかったから、「なーんだ、ジュースとは違う不味そうな飲み物だ」ということで諦めたかもしれない。自分の子ども時代もそうだった。ところが、最近のビールは違う。「なんだかバナナの甘い香りがするぞ」「お、グレープフルーツのいい香り」「イチゴの香りがする」と逆に刺激してしまう。この前も下の子によなよなエールの香りを嗅がせたら口を開けて飲む気満々で、グラスを離したら泣いてしまった。
それに輪をかけるような変化がビール業界で起きた。4月1日から酒税法が変わったのだ。
これまでは副原料に「麦、ホップ、米、トウモロコシ(コーンスターチ)、コウリャン、馬鈴薯(ジャガイモ)、でんぷん、糖類またはカラメル」しか許されなかった。これ以外の副原料をちょっとでも入れたら即「発泡酒」になっていた。ところが、4月からは「果実、香辛料、ハーブ、野菜、ソバ、蜂蜜、みそ、花、お茶、コーヒー、コンブなど」も使用OKになった。それに合わせて麦芽の比率は67%から50%へと引き下げられることに。つまり、「ビール」というカテゴリーが大幅に広がったのだ。
各社ともに早速、レモングラス、オレンジピールとコリアンダーシード、スダチとカボス、グレープフルーツとオレンジピール、かつお節などなどを使った“これまでは発泡酒と分類されていた”ビールのリリースを発表した。
1994年の大手各社による発泡酒市場参入から20数年。僕の肌感覚としては上の世代に「発泡酒」というカテゴリーを脊髄反射的に毛嫌いしている人が多い。かつて義母から「発泡酒は飲まないって言ってる人からもらったんだけど、いる?」とヤッホーブルーイングの「前略 好みなんて聞いてないぜSORRY」をもらったことがある。そういう人たちに「これは麦芽の量をけちった発泡酒ではなくて、使用が認められていない副原料を使ったからビールと呼べなくて…云々かんぬん」と説明しても聞く耳を持たない。たぶんそういう人はラベルに「ビール」と書いてあればとりあえずは飲んでくれる。多彩な副原料を使ったユニークな商品も増えるし、いいことばかりだと思う。
一方で、ほんのちょっとだけ寂しさがあることを否定できない。
僕らの世代ではまだ「ビールが飲めて一人前」「ビールが美味しく飲めてこそ大人」という価値観が幅を利かせていた。飲み会ではパワハラのような「一杯目はみんな生でいい?」という声をよく聞いたし、特に男がそれに異を唱えてカクテルやサワーを頼もうものなら絶対に馬鹿にされていた。
酒を嗜むようになった頃、僕はビールが美味しいと思わなかった。完全に瘦せ我慢をしてビールを飲んでいた。なぜなら「ビールが飲めてこそ大人」という価値観を本当に信じていたから。幼少期の泡食べ体験から、常にビールは乗り越えなければならない高いハードルだった。何度も「大人って本当にこれ美味しいと思って飲んでるの?」と疑いながらも、苦行のようにビールを飲み続け、いつしか「あれ?俺、ビール美味しく飲めるようになってないか?」と気付いたときは本当に嬉しかった。大人の階段を登った達成感があった。
僕の子ども達世代にとって、ビールはおそらく「大人になるために乗り越えなければならない苦い飲み物」ではなく、むしろ「フルーティーなもの、苦みが弱いもの、酸味が強いもの、甘いもの…何でもありの自由なお酒」になる。ビールの方から迎合するような形で敷居を下げてきている。
息子たちはビールに興味津々だ。でもいつか「苦くて飲めねえや」と気付く。それに対して「おお、ビールは苦いか。そうだろう、でもなあ、不思議とそれがいつか美味しくなるときがくるんだよ…」という大人を僕は演じたかっただけかもしれない。苦いビールを美味しそうに飲む大人って本当に格好よかった。そこはフルーティーじゃ格好がつかないんだよなあ。