幸せの沸点が異常に低いお気楽な奴


 ハーフバースデーという文化はいつ始まったのだろう。少なくとも僕が小さな頃は存在しなかった。と言っても自分が生後半年の頃のことは覚えていない。つまり、自分が小学生の頃とかに周囲で子どもが生まれても、ハーフバースデーなんてやっていなかったはずということ。

 ハーフバースデー。

 これほどまでに一語で親馬鹿感が醸成されるワードもないような気がする(まあ「ベビたん」とか「スタジオアリス」もそこそこか)。実は次男がもうすぐハーフバースデーである…いや、やはりハーフバースデーという言葉を使うこと自体に抵抗がある。
 もとい、次男がもうすぐ生後半年である。今の彼は、目が合うだけでにっこり笑ってくれる素晴らしい存在だ(3歳を過ぎた長男はかつてあんなに天使のようだったのに、今ではちょいちょい生意気になる)。

 たぶん幸せのハードルが異常に低いのだ。「親が自分のことを見つめてくれている=とても幸せ」という本人にとっても周囲にとってもプラスしかない時期と言える。ただ、この「幸せの沸点が異常に低いという幸せ」は何も赤ん坊だけのものではない。何を隠そう、僕も幸せの沸点が異常に低いと自分でいつも思う。




 それですぐに思い出すのは、大学卒業後、下北沢で一人暮らしをしていた時期のこと。僕は当時、ほぼ毎日シャワーを浴びながら「うちはシャワーがあってなんて幸せなんだろう…」としみじみ感じていた。「そもそも屋根と壁があって風雨が入ってこない時点ですげえ幸せだよな~」と実際に口に出して呟いていたほどだ。

 勘違いして欲しくないのは、家賃の高いデザイナーズマンションとかで立派な浴室だったわけではないという点である。築30年以上の風呂なしアパートの6畳間を改装した結果、4畳半+ユニットバスになった部屋なのでごく普通にせま~い浴室なのだ。同時に勘違いして欲しくないのが、それまで僕が竪穴式住居などに住んでいたわけでもない点だ。でも、本当にニタニタ笑ってしまうほど嬉しかった。当初は「引っ越したばかりだから嬉しいんであってすぐに慣れるさ」と思ったけど、何年経ってもずっと嬉しさが続いた。だからこそ、妙に記憶している。

 憂鬱に沈んでいたとき、向こうから歩いてきた知り合いの女性に「矢野くん、おはよう!」と挨拶されただけで憂鬱が吹き飛んでハッピーな気持ちになったことがあるし、おやつは高級なマカロンやプレミアムなロールケーキなどより麦チョコやスーパーBIGチョコみたいな安い駄菓子の方が幸せになれる。
 空が晴れ渡ったらそれだけで終日気分がいいし、昼間から外でビールを飲んでしまった日には「このまま死んでもいいな~」なんてよく思っていた(今は子どもがいるから簡単には死ねないなあと思ってる)。

 いつだったかシベリア抑留に関する本を読んでいて、極限状況の中でも「おいみんな、夕日が綺麗だぞ!」と言う人がいたという記述を目にしたことがあったけど、たぶん僕もそっちのタイプの人間だと思う。状況が不幸せでもその中における幸せを見つけられる自信がある。
 でも、振り返ってみると、若くて尖っていたときは周囲には不幸せを演じていた。幸せのボディーブローに耐えながら「俺は不幸で傷ついているんだ!」と必死にアピールしていた。いつしかそんなひねくれた真似はやめてしまった。能天気でいられるうちが華である。お気楽に生きようではないか。