自信やセンス不足を 取って付けたプラスで補う罠


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 逆効果、というものを最近考える。

 つい最近だとSMAPの分裂騒動で考えた。ジャニーズ側は当初、独立クーデターを企むマネージャーとそれに同調したメンバーが悪、事務所に残る決断をしたメンバーが正義という図式を印象付けるため、情報操作したようである。真相はわからないが、まあそれくらいはやりそうな話である。

 昔だったら猫の手をひねるくらい簡単に操作できたのだろうけど、ネット時代ではそうはいかない。どうやらクーデター説はジャニーズ側が自分たちの都合のいいように撒いたネタらしいということが漏れ伝わり、真実味を帯びた。そうなると、クーデター説を書き立てれば書き立てるほど反対に事務所の横暴さが際立つことになる。

 イメージを良くしようと思ってやっていることがイメージの悪化を招く、まさに逆効果だったわけだ。

 以前、名前の前に肩書きをずらりと並べた人を目にした。権威のありそうな単語が躍り、「俺はすごいだろう」という意識なのだろうけど、受け取る側はそう思えない。むしろ、その人の内面に潜む弱さ、自信のなさを感じてしまう。

 広告制作会社でコピーライターをしていた頃に出会った、とあるクライアントの名刺はさらに壮絶だった。表面はもちろん、裏面にも自分が成し遂げた事業を細かな字でびっしり書き連ねていたのだ。まるで米に字を書く達人のごとく。たぶん本人は100%本気なのだけど、その名刺を見た人は100%苦笑いしてしまうのだ。

 デザインでもよく思う。僕のようなずぶの素人がポスターやチラシのデザインをすると、書体や色が派手派手になりがちなので「素人仕事だな」とすぐわかる。料理だって「美味しく見せよう!」という意図が過ぎると、「なんかやり過ぎてかえって不味そうだな…」となるし、メイクでも笑いでも多くのジャンルで同じ原理が働く。自分に自信やセンスがないマイナス状態だと、人は本能的に過剰な足し算をして取り繕ってしまうのだ。

 おそらくこの本能から人は逃れられない。ボーッとしていると、気付かないうちにマイナス面を「取って付けたプラス」で補ってしまう。無念なことに、その足し算は他人から見ると良さの引き算にしか映らない。

 いつの頃からだろう、僕は他人に自己紹介するとき、「ライターであること」と「ビール好きであること」以外を口にしなくなった。僕は高知県生まれであり、3人兄弟の真ん中であり、麦チョコが好きである。なお、高知は母の出身地で里帰り出産である。…だが、そんなことは人にとってはどうでもいい。

 その場に応じてまず第一に求められている情報とプラス1の情報だけを伝える、と割り切っている。すると、たいてい「ライター」がメインで、「ビール好き」がプラス1になる。それまでは自己紹介を振られると余計な情報を加えたり、何かの感想を求められたらあーだこーだ言って場をしらけさせてきた気がする。そのたびに「しまった…」と後悔していた。今は求められている情報と「プラス1」のルールで不必要な足し算を警戒している。その方が人に興味を持って話しかけられる率もずっと上がった。

 自分に許した「プラス1」の膨らみに言いたいことや伝えたいことをギュッと詰める。そっちに気を配ることの方が大事なんだと僕は思っている。