西暦に強くなると色々な面で役立つと思う
1516年。
この西暦を見たら、たいていのコアなビール好きは「ビール純粋令」が制定された年だと思うだろう。「ビール純粋令」とは、「ビールの醸造には大麦、水、ホップのみ用いることができる」というバイエルンの法律。いかにも厳格なドイツ人らしい規則である。これに「酵母」が加えられた1556年まで記憶している人がいたら、周囲から疎ましがられるレベルのビールマニアである確率が高い。
この世界には、西暦に強い人と強くない人の2種類がいる(当たり前かもしれない)。さらに踏み込むと、その割合は2:8だ(当然データはない)。たいていの人は西暦に強くない。何を隠そう、僕はどういうわけか異常に西暦に強い。20%側。人生を通してずっと算数や数学が苦手で大嫌いだった僕だが、ここに来て数字に強い側にいるのだから人生は不思議である。まさに、勝ちに不思議の勝ちありである。
まずわかりやすいところで役立ったのは、大学受験。日本史を選択した僕は、高3夏の時点で偏差値30台だった。「~したのは誰か?」というテストの空欄には、軒並み「徳川家康」とペンを走らせていた。だが、ひと夏集中して日本史に取り組んだら、秋には偏差値が70に伸びていた。今でも1333という車のナンバーを見ると「建武の新政か…」と頭をよぎるし、コシャマインは1457でシャクシャインは1669だと峻別できる。ただ、建武の新政は何が新しかったのか、とか、コシャマインさんとシャクシャインさんは何を求めて戦ったのかとかはきれいさっぱり忘れている。むしろコシャマインさんとシャクシャインさんは僕の頭の中では、テキストレベルでしか存在していない。
次に役立つのは、生存している人を西暦順で頭の中に並べられ、他人に臆することが減る点。僕は主な芸能人の西暦を記憶している。“西暦界の林家ペー”を狙っている節すらある。藤原紀香と聞けば1971がすぐ浮かぶし、タモリは1945、山上兄弟の兄は1994という具合だ。最高齢は水木しげるの1922。この方が大正11年生まれ、と記憶しているので、大正11年以降なら西暦と和暦を変換できる。初対面でどんなに年齢が上の人と話しても、「1954年生まれということは10歳の頃に東京オリンピックがあったのか」と考え、「東京オリンピックは記憶に残ってますよね?」とか「バブルのときは30台ですね。お立ち台に上りましたか?」とずかずか踏み込むことができる。
日常レベルでもっとも役に立つのは、自分の来歴もたいてい西暦で記憶できている点かもしれない。「あれは中一の頃だったから1993年の出来事だ。当時はサッカーJリーグが開幕して、割れた風船からMVPのカズが…」と出来事が延々つながる。友達が一緒に行った旅行がいつなのかを忘れていても、「それは2004年のことだよ。俺、社会人2年目だったから。アテネ五輪の超気持ちいい年」とかすぐに指摘できる。
履歴書の趣味・特技欄に「西暦」と堂々と書きたいくらいなのだが、弱点もある。どうしても学年にこだわってしまうのだ。例えば、サッカーの遠藤保仁選手が1980年生まれなら僕と同じはずなのだが、「いや、彼は早生まれだから…」と分けて考えてしまう。有吉とジュニアも同じ1974年生まれ。だが、ジュニアは3月生まれだから彼の方が一学年上か…とつい余計なことを考えてしまうのだ。いつか学年の概念を超えて、真に自由に西暦を考えてみたいと願う2014年終盤である。