息子とキャッチボールがどうしてもしたい


 昨年、第一子の息子が生まれた。日々、成長する様子を眺めるにつれ、様々な夢が頭をもたげてくる。将来、息子と一緒に色々なことがしたい。

 まずキャッチボールである。前方にボールを投げ、相手がつかみ、ボールを投げ返してくる。また、投げる。延々その繰り返し。ただそれだけにもかかわらず、キャッチボールはとても楽しい。友人宅へ遊びに行き、グローブ(×2)と軟式球を見つけると、僕は必ずキャッチボールをしようとせがむ。絡ませた両手の指を顔下に置き、上目づかいでねだる。キャッチボールはコミュニケーションの宝庫だ。

 ・相手が捕りやすいところ(胸の前)に投げる
 ・キャッチの際に「パシッ」といい音を出し、相手を気持ちよくさせる
 ・相手がボールを後ろに逸らしたら、近づいて距離を縮める
 ・「いい球!」など褒め言葉を挟みつつ、一球一球会話を楽しむ
 ・折を見てキャッチャー役になり、相手にピッチャー気分を味わわせる

 短い動作の繰り返しの中に、様々な種類の優しさや気遣いが必要なのである。友達とやっているときでもワクワクするのだから、息子とやったらどれだけ楽しいだろう。夢が膨らむのである。嬉し過ぎて倒れないよう今後、血圧の上昇には注意しなければと思っている。

 そして、もう一つ。成人を迎えた息子との乾杯である。これはもう男の子を持った父親全ての夢だろう。当然ながら、飲む酒はビールと決まっている。カシスオレンジとかイチゴのサワーといった軟弱な酒は断じて許さない。

 2033年8月22日、息子が二十歳になる。僕はあと2か月で53歳という年。結構なおっさんだ。その日をシミュレーションしてみよう。

 朝、息子が眠そうな顔で起きてくる。昨晩の熱帯夜で寝苦しかったのだろう。「おはよう」と声を掛け、さりげなく息子の予定を確認。「あ、今日は友達と遊びに行くけど…」と返されても「女か?」とゲスな質問はしない。「そうか」と熱々のコーヒーをすすって一言。「今夜は空けとけよ」。

 朝食を済ませ、自室に戻る息子。僕は五十肩で苦しむ肩をぐるんぐるんと回し、ビールの組み立てを思案する。「まずはやはりピルスナーか、いや、苦みの少ないヴァイツェンから始めるという手も。待てよ、締めの一本から逆算するという作戦も考えられるな…」と頭を張り巡らせていると、もう昼である。外では蝉が激しく鳴いている。昼食後、家を出る息子。僕は酒屋へ。妻はスーパーマーケットへ。

 リストアップしたメモを手に、僕は行きつけの酒屋を回る。馴染みの店の主人全員に「いやあ、今日はせがれの二十歳の誕生日でしてね。えへへ」と告げる。「お!いいですね!そんなことなら…」なんて言ってサービスでもらうおまけの一本は、後日ゆっくり頂くとしよう。お目当てのビールを購入して帰宅。あとは主役を待つばかり。

 夕方、息子も帰宅。料理の下ごしらえに追われる妻。グラスを拭いて準備を整える僕。やがて宴は始まる。これまで歩んできた20年を振り返りつつ、ゆっくり料理とビールを味わう僕ら家族。酔いも回ってきたところで、息子からサプライズが。封筒から手紙を取り出す息子、ハンカチを手に既に涙目の妻、優しく見守る僕。内容は、、、
 
 
 
 …なんて書いているそばから息子(もうすぐ8か月)の泣き声が聞こえる。もう少し昼寝して欲しかったけれど、親の思い通りにはならない。そう、親の思う通りになんてならないのだ。バカボンも言っている。この世は天国、なすがままなら、と。そう、全てを受け入れるのだ。もし息子がビール嫌いになったらなったで、カシスオレンジで祝杯をあげようではないか。

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