ブエノスアイレスでビールを買う方法
何やらわけがわからないけれど、異様にひかれてしまう国ってあると思う。別にその国が生んだ作家が好きなわけでも、その国の歴史に興味があるわけでも、その国のイメージ写真に使われるような絶景に目を奪われたわけでもない。
僕にとってその一つがアルゼンチンであり、首都のブエノスアイレスだった。行って何があるかはよくわからない(タンゴくらいか)。でも、とにかくそこへ行ってみたい。いつからかそう思っていた。6年勤めた広告制作会社を退職した後、しばらく自由な時間があった僕は迷わずブエノスアイレスに行ってみることに。寝床として選んだのは、長期旅行者用の日本人宿だった。
初めて降り立ったブエノスアイレスの地は、実に退廃的でレトロな印象だった。迷いながらも宿に着くと、そこはドラマのような空間だった。小綺麗なリビングで、穏やかな日差しを受けて男女が仲良く麺をすすっている。テレビはNHKを映している。一人でパソコンに向かっている男もいれば、トランプに興じている者たちもいる。彼らは新入りの僕を一瞥すると、一様に地方新聞の冴えない記事(巨大な大根を収穫、といった)を見た後のように何の感興もない表情で元の行為に戻っていった。
かくしてブエノスアイレスでの8日間が始まった。朝から夕方はブエノスアイレスを動き回り、夜は同宿の旅人たちと乾杯。そんな毎日だった。
初日の夜、先輩宿泊者にビールの買い方を教わった。喫煙もできるテラススペースに大量の空瓶(1リットルサイズ)が。そのうちの何本かを持って下の商店へ。瓶を見せると、店員が瓶の数と同じ数字が書かれた紙を渡してくれる。瓶ビールを手にレジへ行き、その紙を見せると書かれた本数は値引きしてもらえるという仕組み。つまり、3本飲みたかったら3本の空瓶を持って行けばいいというわけ。
ブエノスアイレスでは、「Quilmes」(キルメス)というビールにお世話になった。このキルメス、とにかく軽い。ビール界のモスキート級チャンピオン。喉を抜けた瞬間にストンと消える。余韻というものが一切ない。でも、ナショナルブランドのようで、どこへ行ってもあるため最初から最後までずっとキルメスを飲んでいた。
一方、日本人宿にはヘビー級の旅人たちが集っていた。
・世界一周旅の真っ最中の者
・一年間の南米旅を終え、ダラダラしている者
・パタゴニアに向かう途中の夫婦
・南米を回る女性グループ
などなど。10代の頃、サッカー選手になることを夢見てアルゼンチンでサッカー留学をしていた、という男性にも出会った。当時お世話になった方と感動の再会を果たし、家にも泊めさせてもらっていたらしいが、ある日「お前、いつまでここにいるんだ?」と追い出されてしまったとのことだった(センチメンタルジャーニーもなかなか難しい)。
ブエノスアイレスの夜は、こうした個性的な面々とキルメス片手に延々と喋ることで更けていった。正直、ブエノスアイレスの街の印象よりも、キルメスと旅人たちとの会話の方がずっと印象的だった。
帰国後、あることに気付いてしまった。もしかして自分は「ブエノスアイレス」という音の響きだけにひかれていたのではないか、と。まあ、そんな旅も悪くないか。そのネーミングから「エロマンガ島」へ行ってしまう人もいるくらいなんだから。