ビール×農業。“ファーマーズブルワリー”という選択肢
ここは地球ではなく別の惑星?
と思ってしまうような不思議な地形が堪能できる島根県の名所、石見畳ヶ浦。このすぐ近くに一軒の農家がある。ただの農家ではない。ビールを造る農家、“ファーマーズブルワリー”なのだ。2018年に開業したこの珍しいブルワリーを訪問して話を聞いた。
1600万年前の地層は圧巻。国の天然記念物に指定されている石見畳ヶ浦。
妻が働く島根へ。退職時の挨拶が進路を決めた。
正直に言ってアクセスは悪い。なにせ目的地は「東京から一番遠いまち」というキャッチフレーズを冠する島根県江津市のすぐお隣りにある浜田市。僕は車だったが公共交通機関で訪問する場合は覚悟した方がいいだろう。
鳥取県から国道9号線をひたすら西に進み、島根県立しまね海洋館アクアスを過ぎた少し先にある「三島ファーム」を目指す。ナビを頼りにようやく三島ファーム、別名「ファーマーズブルワリー穂波」にたどり着いた。迎えてくれたのは代表の三島淳寛さん。
早速、ブルワリー設立の経緯を聞いた。その前に、京都出身の三島さんが島根県にいる理由から。
「きっかけは大学で同級だった妻との結婚でした。当時、私は大阪の農機具製造会社に勤めていたのですが、妻がこちらで暮らしていまして。2002年、結婚するために私が大阪から島根にやって来ました」。
移住後の約8年間は農機具の修理・販売の仕事をしていた三島さん。元々農学部出身だったこともあって農業への思いを捨て切れず、2010年春、サラリーマンを辞めて農地を1haほど借りて農業を始めた。
「お客様に退職の挨拶回りをしたのですが、そのお客様の一人が“いわみ地方有機野菜の会”の会長さんで、グループで勉強させてもらえることになりました。本当になりゆきで有機野菜を作ることになったのですが、このご縁が無ければ経営として成り立っていなかったと感謝しています」。
研修を受け、農協にお金を借り、2011年9月にはハウスを12棟建てた(現在は48棟)。ほうれん草、小松菜、ねぎなどを人との巡り合わせで育てていた三島さんに第2の巡り合わせが訪れた。クラフトビールである。
広大な三島ファームの一角にあるファーマーズブルワリー穂波。
有機野菜に続いて、クラフトビールとも巡り合う。
2015年、隣りの江津市に石見麦酒が設立された。石見麦酒は設立前、ビジネスプランコンテストに「目指せオクトーバーフェスト!街全体がブルワリー」というプランで応募し見事大賞を受賞していた。ビールが好きだった三島さんはその記事を見て、「うちでも造れたらなあ」と思ったそうだ。
「チャンスが来たのは石見麦酒さんの醸造開始から1年くらいした頃です。生産が追いつかないため第2工場建設を検討中という話を聞いて、うちで造れませんか?と石見麦酒の山口さんに相談しました。すぐに加工室を山口さんが見に来てくれて話が進み、免許の申請や資材の調達をサポートしていただきました」。
2018年1月に発泡酒製造免許を取得、春から醸造を開始している。
「うちはほうれん草や小松菜やネギなどで生産の9割を占めるのですが、それらはやはりビールには向きません。そこで自社で有機栽培しているサツマイモを副原料に使うことにしました。自家製の有機のさつま芋をここまで使用している醸造所はおそらくないと思いますね」。
三島さんが丹精込めて作った有機のサツマイモ。ビールに惜しげもなく使用される。
石見麦酒のビールでエールに開眼。定番6種のレシピを開発。
石見麦酒で醸造を担当する安達さんを役員に迎え入れ、商品開発は二人三脚で行っている。
「安達さんには週1ペースで来ていただいています。商品開発、製造の技術指導のほか、既存商品の改良などブラッシュアップしてもらっていてありがたいですね。製造はもちろん、チェストフリーザーとビニール袋でお馴染みの石見式を採用しています。自社ブランド生産とOEM生産を合わせた来春までの1年間の生産は10klくらいの予定です」。
1回の仕込みが最大150リットルと小規模生産が特徴の石見式。
定番商品は穂波ホワイト、穂波レッド、穂波安納、穂波ゴールデン、穂波ブラウン、穂波ブラックの6種。実は三島さん、元々エールビールは飲んだことがなかったそう。
「ビールは日常的に飲んではいましたが、自分が飲んでいたのは大手のラガービールばかりで、石見麦酒さんができてエールを飲んで衝撃を受けました。こんなビールがあるんだ!と。より自分達で造りたいと思った瞬間でした。やはり農家ですから副原料に農産物を使用したラインナップにしています。ブラウンはショウガ、ブラックは黒豆、それ以外は自社栽培した有機さつま芋3種を使っています」。
ファーマーズブルワリー穂波の個性豊かな定番ラインナップは全て浜田駅の浜田市観光協会特産品販売所で購入することができる。
浜田市の逸品が並ぶ店内にファーマーズブルワリー穂波のアイテムも並ぶ。
“目指せオクトーバーフェスト!街全体がブルワリー”を目指して
元々クラフトビールマニアでもなく、本業が農業ということもあり、固定観念に縛られないビール造りが三島さんの魅力だ。
「穂波レッドは自社生産の有機むらさき芋が副原料で、一番最初に安達さんと造ったビールです。普通ビールにはホップで苦味と香りを与えますが、レッドはホップの主張を抑えています。エール酵母の作り出す甘いイチゴにも似た香りが楽しめる、スパークリングロゼワインのような赤いビールなんです。ほかにもお米とぶどうを使用した商品を開発中ですので、出来上がりを楽しみにしていてください」。
ユニークなスタイルを開発しながら、麦の栽培にも挑戦。一年ほど前にビール用の大麦と小麦を蒔いて今年収穫。キリンの福岡工場や岡山の真備竹林麦酒に製麦の勉強をしに行ったそうだ。
「石見麦酒さんが小さな製麦工場を作ってくれました。石見麦酒の山口さんのものづくりの姿勢にはいつも圧倒されます。とにかくやってみて、問題を一つずつ改善する!と聞くとシンプルなんですがなかなか真似できません。今年ホップの苗も植えてみました。うまくいけば、原材料100%浜田産のビールもラインナップしたいですね」。
パートナーである石見麦酒の安達さんとは「造り手が造りたいビールを造ろう!」という話をいつもする。
「この仕事は、“こういうのが造りたい!”というパッションが全てだと思います。石見式なので1仕込みが小さいぶん、色々試すことができるのも楽しいです。“目指せオクトーバーフェスト!街全体がブルワリー”というコンセプトは今後も全面協力します。普通、ライバルが増えることはマイナスと考えます。でも、石見麦酒の山口さんは“新しい市場を一緒につくることで得られるメリットの方がはるかに大きいはず”と言います。課題はあると思いますが、みんなで協力して実現できると考えています」。
東京から一番遠い島根県江津市とそのお隣りの浜田市。新世代のクラフトビール文化の中心地はもしかしたらここなのかもしれない。