薦められた本を14年後に読む


 手元に一冊の小説が届いた。チェコ出身の作家、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』である。大学生の頃、ある人に薦められて読もうとしたものの、その取っつきにくさに挫折した。この本に再挑戦しようと思ったのにはワケがある。

 話は2002年、大学4年生の頃にさかのぼる。社会学部の社会学科というところに所属していた僕は当時、「社会学入門講座」という講義を受けていた。なぜ4年生なのに入門講座なのか。理由は簡単、単位を落とし続けていたから。1年生の頃は普通に試験を受けて、普通に落とした。2年生の頃は後期の試験を遅刻で受けられず落としてしまった。痛恨の極みだった。3年時は前期の試験で遅刻したため、後期は諦めて授業に出ず当たり前のように落とした。

 入門講座の単位を取ることのないまま、ついに最終学年である4年生になってしまった。社会学科は卒業論文が必修だったから、入門講座と卒論ゼミを同時に受けるという馬鹿げた事態になっていた。4回目の入門講座はしかも、大きく中身を変えていた。それまでは社会学科生約150人全員が受ける必修授業だった。担当教授は2週ごとに変わり、それぞれの研究分野の概要を解説してくれる。いわば、学科のカタログのような授業だったのだが、カリキュラムの見直しで廃止になってしまったのだ。

 すると、単位を落としたダメ学生のためだけに、小教室で講義が開講されることに。教授陣もそんなダメ学生のためだけに来てくれやしない。前期と後期、2人の先生が担当することになった。その前期を担当してくれた先生がSさんだった。30代前半と若々しいお兄さんという感じで、研究者というよりは院生のように見えた。




 4度目の社会学入門講座。だが、上には上がいて5度目というツワモノというか、駄目の極み学生もいた。S先生はそんな敗戦処理的な授業でも熱心だった。参加人数も20人程度だったので、それまでのアカデミックな雰囲気とは打って変わって、和気藹々とした授業になった。日韓ワールドカップの日本戦も、彼の研究室でクラスのみんなと視聴した。

 当時、僕は詩集を自費出版したり、コピーライターとしての就職先を決めたりしたこともあって、S先生に興味を持ってもらったようだ。個人的にメールのやりとりをするようになった。チェコのメディアを研究していたSさんはかなりのチェコ通。メールの中で彼は、「ミラン・クンデラの本は矢野君には必読の書だと思います」と綴っていた。

 だが、前述の通り、難しくて読めなかった。正直にその旨を話すと、笑いながら「読めるときになったら読んでみてよ」と言ってくれた。メールでは、「少し年上の友人として、これからはS先生ではなく、Sさんでお願いします」と書いてくれた。研究者のイメージを覆す、本当に爽やかで人柄のよい方だった。

 今年に入り、そのSさんがくも膜下出血により亡くなったことを知った。享年47。あまりにも若い。せっかくSさんと個人的に親しくなれるチャンスがあったのに、卒業後は忙しさやら何やらですっかり疎遠になってしまっていた。訃報を知り、当時と同じメールアドレスを使用していた僕は彼からのメッセージを再読した。惜しい人を亡くしたと改めて思った。ミラン・クンデラの文字を見つけたのはそのときだった。14年前の風景が鮮やかによみがえった。

 Sさんはビール好きだったらしく、チェコのラガービールにも精通していたようだ。なんだ、今だったら絶対に楽しく乾杯できたのに…と思ってももう遅い。ただのいち駄目学生に過ぎなかった僕にも、人として優しく付き合ってくれたS先生の影が今になって急に重みを増している。最近はノンフィクションばかり読んでいたけど、次はミラン・クンデラの小説を読んでみようと思う。Sさんのことを時々思い出しながら。