地方に移住したらライターという職業に光が見えた


 「コピーライターなんてつぶしが利かない仕事をよく選んだね」。

 大学卒業後、渋谷にある広告制作会社に入社した直後、先輩ライターから自嘲たっぷりに言われた台詞をよく覚えている。

 確かに僕が入社した2000年代初頭は、コピーライターという仕事が悲観的に見られていた。広告コピーが時代を彩った季節はとうに過ぎ去り、ネット広告費がラジオの広告費を抜き去ったこともあり、新聞や雑誌など旧来のメディアに生息するライターは長くないという論調があった。また、「結局“今売れてます!”ってコピー最強論」が浮上したり、おもしろいものより商品のメリットを実直に伝えるコピーをよしとする風潮もあった。「コピーは死んだ」。そんな時代の空気を感じて僕も、「全く未来の見えない職業を選んでしまったものだ…」と不安になった(が、すぐに「ま、考えても仕方ないか」と思った)。

 少し意識が変わったのは2000年代中盤。当時、中国をはじめとするアジアのデザイン会社が日本の広告市場に割って入ろうとする動きがあって、安い人件費で日本のデザイン市場を席巻するのではという脅威論が一部で広がった。でも同時に、「どれだけ外国人が日本語を勉強しても、書く仕事は取られないだろう」という楽観論も登場。そのとき僕は「ああ、ライターという仕事は対外国勢には有利なのか」というポジティブな視点を手にした。

 それから紆余曲折あって地方に移住した現在、「ライター」という職業(もはやWEBライターとかコピーライターとか分ける必要性はなくなっている)は全く捨てたものではないと思える。ネット環境がここまで整うと、東京だけでなく海外にいる相手とも問題なくやりとりできるし、もちろん地元の仕事もできる(たくさんはないが仕事もある)。こちら鳥取でライター業を始めた当初、東京から仕事をもらって動かずにPCに向かってばかりいる状況を本能的に「まずいぞ」と感じ、地元の取材仕事を増やしてみた。直接人に会って思いを聞いて、伝わる文章にする。そこにはやはりライターとしての原始的な喜びがあった。収入の見通しが立ちにくいのが難点だけどそれはフリーの宿命だし、結果的には収入は東京時代とそれほど変わらなかった。

 来年はまた、地元仕事をしながら1年くらい在宅ライターとしてどこかの契約社員になる働き方もしてみたい。今は新人の地方在住ライターとして、とりあえず色々な働き方をして知見を広げたいのだ。つまり、色々な選択肢からその時々の自分に合ったスタイルをアレンジできる。これはライターという仕事が場所を選ばないという強みがあることを意味していると思う。

 つい先日、ネットの記事で「機械に奪われそうな仕事ランキング」を目にした。ヒヤヒヤしながらそのランキングを眺めたが、ライターは少なくともTOP50には入っていなかった。書く仕事が簡単には機械に奪われないことに安心した。これはネイティブライターが対外国勢に有利なのと似ている(文字入力や校正やテープ起こしといった仕事は危ないかもしれない)。

 対外国、対距離、対機械への強み。実はライターという職業は地味に続いていく、“つぶしが利く”仕事なのかもしれない。が、僕が一番強みだと思っているのは、対年齢にも強そうな点。単純に書くことが好きだから、僕は認知症になるまではライターをやっていたい。今よりもっと在宅ライターの環境が整っていたら、年がいってからでも稼げるだろう。オフィスで雇うとなると、発注主だって若い人材を選びたくなるだろうけど、スポットかつ遠方で仕事をさせる分にはベテランライターの方がむしろ使えるはず。体力的には厳しくなるのかもしれないけど、60を過ぎて「ちょっと来週からサンディエゴの醸造所の取材行ってくるわ!」とかそんな人生を想像すると最高である。好きなビールの仕事で生計が立てられたら本当に言うことはない。

 ライターしかできない不器用な男がこの後、どんな道を辿ってゆくのかは誰もわからない。不安もある。でも、僕は未来を明るく考えている。そして、いつか若手のライターに「楽しいうえに、つぶしが利く仕事を選んだね」と伝えられたらいいなと思っている。

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