SNSの使い分け私論


 東京でテレビやラジオの仕事をしていた頃、フジテレビの「爆笑 大日本アカン警察」という番組にリサーチャーとして携わっていた。レギュラー番組化される前、何度か特番で放送していたのだけど、そのごく初期からレギュラー終了までフルに関わったことになる。

 町で見られる変な風景、日本全国の激安飲食店、ロケ候補地、意見が聞ける専門家、変な髪形をしている方々(このゴッドヘア企画はあえなくボツになった…)、薄毛のお役立ち情報、縄文時代の食事などなど、挙げきれないくらい毎週色々なことを調べあげた。

 最も定番の課題は、スタジオに招くゲストのアカン言動。過去にこんな発言をしていた!こんなダサい服を着ている!調子に乗ってこんなことをしていた!今こんな変な癖がある!といったことを調べまくって、鬼の首を取ったようにリサーチ文書にまとめるのである。

 僕がツイッターに登録したのはまさにその頃(当初は登録しないと発言が見られないと思っていた)。タレントのツイッターをさかのぼり、突っ込みどころを探していた。もちろん、徒労に終わることも多く、チェック後に「これは仕事なのか?ただの時間潰しなのか?」とよく空しくなった。

 あれから番組も終わり、ツイッターとは無縁の生活を送っていたのだが今年の頭、きまぐれに始めてみた。ビアバーや国内外の醸造所、ビール情報発信系のアカウントをフォローしまくり、自分でもちょこちょこ呟きはじめた。

 半年くらい経過して思うのだけど、ツイッターはすごくいい。「もうオワコンなのでは」と半信半疑だったのを深くお詫びしたい。

 まず、必要な情報をキャッチしやすい。海外(特にアメリカ)の醸造所のリアルタイム情報が手軽に追えるし(英語力は怪しいのでざっくりだが)、Facebookには流れてこない情報も多い。ツイッターだけに発信している人も結構いる。そもそもFacebookに情報収集の役割を持たそうと思うと、友人の投稿が埋没してしまうのが嫌だった。Facebookは友人の投稿を見る場、ツイッターは情報収集する場、と今は分けている。

 自らの発信もSNS別に分けるようにした。僕は残念なことに、定期的にどうでもいいことを言わないと生きていけないという闇、いやダークネスを抱えた人間である。ツイッターから抜粋すると以下のようなことだ。
 
 
 
・息子の鼻くそが呼吸のたびに出たり引っ込んだり。ティッシュ片手に出る瞬間を待っているときの気持ちは、ワニワニパニックをプレイしてるときと相似形だった。

・B’zの曲、「さまよえる蒼いダンカン」じゃなくてよかったな。

・圧の強いおばちゃん美容師が気の弱そうな男性客に「かりあげにするの、しないのどっちよ!」と迫り、その勢いに怯えた男性客が「か、か、からあげで!」と返したのを真隣で聞いて、吹き出さざるを得なかったな。

・自分のプロフィールを書くことが今後あったら、経歴等々の最後に「アンダルシアには特に憧れていない。」を加えようかな。

・息子への悪影響を避けるため、♪お借りしたバイクで走り出す~ と口ずさんだ。
 
 
 
 …言わなくていいのは重々わかっているのだが、言いたくなる。これらはたぶんかつてならmixiやFacebookに書いていたけど、発言場所としては「基本スルー」のツイッターの方が収まりがいい。ツイッターには日々、どうしようもないことを発信し(書き散らしとも言う)、Facebookには友人への現状報告を主に投稿するようになった。週一で年賀状を書いている感覚に近い。また、ブログではこうしたエッセイやレビュー、JBJAのサイトでは鳥取のビールネタ、今後はビールの記事を仕事としてウェブメディア等に書いていきたいと思っている。そして、それぞれの連携もうまくやっていきたい。

 SNSやネット状況をようやく整理できてきたなう。といったところだが、これがまたすぐ状況が変わってしまい、定期的に見直さなければならない点がネットに明るくない自分には「アカン」と言いたくなるところである。

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