好奇心のメリット・デメリット


 10か月の息子を見ていると、好奇心の強さに驚く。部屋に置いてある観葉植物にやたらと近付きたがるし、ふと気付くと扇風機や掃除機や電話を触っている。棚に整理した書類も引っ張り出すし、床に落ちているものは何でも口に入れる。仕事をしながら息子といると、泣いたら仕事ができないし、静かなら静かで必ずいたずらをしているので集中できない。困ったものだなあと思うのだけど、もし目の前のものに一切興味を示さなかったら、そっちの方が困ってしまう。だから、まあよしとしている。

 いつしか目の前にあるもの(ティッシュや観葉植物やボールペン)への好奇心を失い、自分の興味があるものだけに心が動くようになるのだろう。それが、成長することだと思う。でも、それは反面、成長から離れることでもある。好奇心を感じる対象が広ければ広いほど、人は自然と多くのことを学ぶと思う。

 先日、とある設計事務所の社長と仕事の打ち合わせをした。終了後、お昼をご一緒し、事務所に戻るときのこと。急に社長が「あれはなんだ!」と橋の方へと走り出し、欄干から川を見下ろしていた。その視線の先には、大きなヘビがいた。そして、「大きなヘビだね、珍しいよ。ヘビもあんな風に上手に泳ぐんだね」と感心していた。

 僕は人生の大先輩が突然、少年のようになったことに驚いた。が、様々なことに関心を持ち、自分の専門外のことも柔軟に学ぶ社長の象徴的な姿を見たような気がした。

 そして、すぐにある朝のことを思い出した。

 地ビール会社に勤務していた頃、出勤してすぐに廊下でラベル貼りをしていた。そこに醸造長がやって来た。「おはようございます」と僕が挨拶すると、醸造長は手に何かを持っていた。そして、「霜柱って見たことある?」と掌の大きな霜柱を見せてくれた。咄嗟に「いや…ないですね」と言うや、「あっちにいっぱいあるから、ちょっと来て」と外へ連れ出した。僕の横にいた若手醸造スタッフも醸造長の勢いに負けて、薄着のまま一緒に極寒の外へ出ていた。霜柱エリアに着くと、醸造長は新しい霜柱を拾い、「こんなに立派な霜柱見たことないよ」と少年のように微笑んでいた。

 そのエリアは僕も毎日、歩いていた場所だった。だが、僕は何も気付くことはできなかった。

 醸造長はあらゆることに好奇心のアンテナを張り巡らせていた。激務にもかかわらず、英会話教室に通ったり、業者に任せればいいのに機械が故障すると必ず修理の現場に立ち会い、「中身を見る機会なんてなかったから嬉しい」と言っていた。もちろん、その好奇心は本職のビール造りでも遺憾なく発揮され、毎年新しいことに挑んでいる。

 何かに好奇心を持てること、というのは財産だと思う。何かを手に入れたり、身につけるために人は多くのモチベーションや時間や労力を必要とする。ところが、好奇心があると自然に近付き、学び、会得する。そこに楽しみはあっても、苦痛はない。それと、好奇心旺盛な人は例外なく、若々しい。たぶん、知的好奇心が満たされているときに、体の内側から若さを保つ何かが分泌されているのだろう。

 残念ながら、僕の好奇心が向かうエリアはかなり限られている。数少ない分野の一つがビール。これは「安ければ何でもいいや」とは決して思わない(ビール以外はそう思ってしまうジャンルばかりだが…)。「どんな味なのだろう?」と好奇心が刺激され、気付くと新しいビールを手に入れている。好奇心を持てることは財産だ。大いに自信を持とう。と思うのだけれど、ビールへの散財が過ぎると、「好奇心を持てることは財産を失うことだ」とも言えるな、と思ってしまう。

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