山形国際ドキュメンタリー映画祭で会った有名人


 西のアムステルダム、東のヤマガタ。

 という表現にピンとくる人がいたら、よっぽどのドキュメンタリー好きだろう。どちらも世界的に権威のあるドキュメンタリー映画祭が開かれる街である。特に欧米に偏りがちなドキュメンタリー界において、山形がアジア代表として果たしている役割は大きい。なぜ山形なのか?というと、山形県を拠点に活動していたドキュメンタリー映画監督の小川紳介氏が創設に関わっていたから。

 隔年開催の山形国際ドキュメンタリー映画祭が今週始まることを知った。鳥取と山形はなかなかの距離だ。今回は行けそうにないけど、何かと落ち着いたらまた必ず山形を訪れたいと願っている。

 20代のときに、一度この映画祭を訪れた。

 ドキュメンタリー熱がピークに達していた当時、僕は映画祭を知り、即山形に直行した。確か宿も取っていなくて、現地で目についたホテルに入ったくらいだった。祭りなのだからさぞかし盛り上がっているのだろう、と思っていたら、実に街が閑散としていて驚いた。常に人が集まるようなメインの会場は存在しない。参加者は見たい映画が上映されている市内の映画館(5~6か所)を巡るだけなのだ。もちろん、各館で上映時間は重なっているため、何を見るか自分でスケジュールを組み立てなければならない。そのシステムは、大学の履修科目を選ぶ感じとよく似ていた。

 面白い映画も、面白くないものも、全く意味がつかめないものもあってスリリングだった。メイン会場はないのだけど、夜になると関係者やファンが集う古民家風の飲み屋があった。僕は夜な夜な一人そこを訪れ、ビールを呷って、よくわからないおっさん達と「今日は何を見ました?」から始まる会話や情報交換を楽しんでいた。

 アーティストのあがた森魚さんとお会いしたのもその店だった。おそらく世代によっては著名な方なのだろうけど、僕は全く知らなかったこともあり、何の遠慮もなしに感想や思ったことを偉そうに(たぶん)語っていた。あがたさんはお供の方と一緒だったけど、「2軒目行こう」と誘われて付いて行った。山形の酒をしこたま飲みながら、またドキュメンタリーや人生について語り合う。なんだかやたらと青臭い夜だった。あがたさんはカメラを持っていて、僕やお供の方々が印象的なことを言うたびにカメラを回し、「それ、いいね。もう一回話してもらえないかな」とやっていた。結局、すっかりご馳走になってしまい、散会は2時を回っていた。翌朝、ひどい二日酔いで午前中に見たかった映画を一本パスしたのはほろ苦い思い出だ。

 今思うと、その頃って全く怖いものなしで、なんか面白いことが起きそうだなあと思う方向に迷いなく進んでいた。そもそも30歳以上離れた親世代のアーティストとそのお付きの方の飲み会に、なんで20代のどこの馬の骨かもわからない男が一人参加していたのだろう。全く謎だけど、あがたさんとは帰京後もしばらくはメールでやりとりさせていただいた。氏の撮った記録映画を見に行ったりもしていたけど、僕のドキュメンタリー熱が平熱になるにしたがって、映画館(とも言えないような小さな箱)からは足が遠のいてしまった。

 最近、自分の興味の範囲がビールばっかりだなあと考えこんでしまう。元々、不器用な人間で色々なことに首を突っ込むタイプの人間ではないけど、ビール以外にも興味や関心を持てる分野を意図的に作った方がいいような気がしてくる。映像のドキュメンタリーと活字のノンフィクションは、その最有力候補である。些細なことでもいいから、とにかく事実が好きなのだろう。

 まあ、でも困ってしまうのは、ビールのドキュメンタリーやノンフィクションを心待ちにしてしまっていること。やっぱりビールの呪縛からは逃れられそうにない。

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