1987年春の教室の左隅の空白
いつまでも保育園児みたいに見えていた次男坊がこの春から、ついに小学生になる。上の子は4年生になり、これから3年間は二人が小学校に通う日々だ。日常の中から保育園の送り迎えの時間がなくなるというのは実に感慨深い。
父親になるとき、ぼくはささやかな夢を描いた。それは、息子とキャッチボールをする。上の子が最近、ようやく野球に興味を持ってくれるようになり、ほんの少し前からキャッチボールができるようになった。下の子は左利きで貴重なのでよりキャッチボールをさせてピッチャーに育てたいのだけど、サッカー好きのためキャッチボールに関心を示さない。なかなか難しいものである。
でも、幼児の頃からボールに全く興味がなかった長男がここに来て、サッカーや野球をしたがるようになったのは本当に意外で、サッカーW杯や野球のWBCの大きな恩恵を受けていると言える。お世辞にも投げるのも捕球するのも上手いとは言えないけれど、へそを曲げてしまわないようおだてながら父子の時間を楽しんでいる次第である。そして、今の自分にとっては日常でしかないものの、少し前は夢だったことを自分はやれているのだ、と一球一球慈しみながらキャッチボールをするように心がけている。
ぼくは西暦に滅法強く、何事も西暦で考えてしまう人間である。息子達の年代も自分の西暦に置き換えて考えがち。つまり、長男が4年生で10歳の年ということは1980年生まれの自分で言う1990年のことか…とか、次男は小1だから自分で言うところの1987年を生きているのか…とかそういう風によく考える。
今日、次男坊の入学式に出席した。いつもは冷静な次男坊が着慣れないぶかぶかの制服を身にまとい、たくさんの親子が入り乱れて落ち着きのない雰囲気に気圧されているのが表情からわかった。ふと自分の小学校入学のときって何があったっけ?と振り返ってみたのだけど、一切思い出せない。考えてみたら3年前の長男坊の入学式のことも実はあまり覚えていないことに気付いた。
うららかな、と言うには少し暑過ぎるくらいの初夏を思わせる陽気のなか、外の光を存分に取り込んだ体育館の中でつつがなく入学式は執り行われた。そして、1年生の教室に戻って明日以降の話をして今日は解散という流れになった。教室の中になだれ込むぼくら親子たち。
教室は左列、真ん中列、右列と3島に分かれていて、それぞれ隣り合う2人がペアになっている。次男坊は左列の一番後ろ。たまたま左隣は誰もおらず、ペアがいない形になっていた。そして、その光景を見たとき、一瞬にしてぼくは1987年春の自分の入学式のとある断片を思い出した。36年前の記憶がまさか鮮やかに蘇るとは自分でも思わなかった。同じ苗字だからというのもあるだろうけど、全く同じ席の位置でしかも隣の席もなかったからだ。
ぼくの担任だった少し肉付きのいい中年女性の先生は、入学式に欠席していたクラスメイトの紹介をし、その隣の席の子に「元気になったら来ますからね」みたいなことを言って慰めたすぐ後に、「あ、矢野くんの隣は来ませんけれどね」と確かに言った。ぼくの隣は欠席というわけではなく、席自体がないのだということはわかっていたけど、自分だけ教室でペアがいないということに改めてひどく不安な気持ちになったことを思い出した。
1987年に行われた入学式で覚えている唯一の記憶はこれだった。でも、そのシーンを思い出せたおかげで不安な気持ちも同時に思い出せて次男を見る目が少し変わった。色々な経験を積んだ今のぼくは「隣に席ないの?ま、すぐ席替えがあるよ」と考える。でも、7年しか生きていないときは「ぼくはいつまでもずっと一人なんだ」と絶望に近い気持ちを抱いたのだ。
入学式と帰りの会を終え、帰宅してみんなで昼食を食べ、本当はすぐに書き仕事に取り掛かりたかったのだけど、何だか子どもが不憫に思えて広場で遊ぶのに付き合った。バッティングをし、その後はサッカーのPK戦をし汗を流した。たったワンシーンでもいい。彼の記憶に今日という一日の断片が刻まれていたらいいな。そう願う。