人生で一番酒が飲めた1カ月
憂いに満ちた表情付きの「昔はもっと飲めたんだけどな…」を20代の中盤から今まで、ずーっと周囲から聞き続けている気がする。その「かつてはすごかったんだぞ」を背後に秘めた穏やかな口調は、往時の賑わいを偲ぶ熱海の旅館組合の男性の口ぶりのようだ。「年とともにどんどんいけるようになってきちゃって…」なんて熟女のようなセリフはほとんど聞いたことがない。
多くの人にとって「人生で一番お酒を飲めた時期」というのは、20代前半のようである。若いころは自分の意思ではなく周囲に乗せられて飲むことも多く、許容量を超えがちだからなのかもしれないし、実際に肝臓が元気なのかもしれない。
確かに僕も大学3~4年の頃、「とりあえずビールなんて軟弱過ぎる!」と「とりあえずウイスキーダブルロックで!」とか無茶苦茶なことをよくやっていた。その当時よく飲んでいた仲間たちと会い、1杯目にビールを注文すると、「え?ウイスキーダブルロックじゃないの?」といまだに言われる。わりと鮮烈な記憶を残していたらしい。
強がりもあったしビールは酔うまで時間がかかるので、手っ取り早く強い酒で安く酔っぱらいたかった年頃だったのだ。でも、味わい自体はビールが一番好み。だから、社会人一年目のとき、アルコール度数の高いベルギービールに出合ったとき、「ああ、俺が進むべき方向はこっちだ!」と22歳にして自分の酒道が早くも決まり、今もその道を踏み外していない。
軸足をビールに移してから、僕は年とともに飲める量が増えていった。そして、今でもはっきり覚えているが27歳の暮れを迎える。2007年12月。僕が人生で一番飲めたのは、この1カ月で揺るがない。色々と順調で人生がばら色のように見えたこの時期、どんなにたくさんお酒を飲んでも全然酔わなかった。ビールをジョッキで10杯くらい飲んでも「あれ?まだまだ飲めるな」という感覚だった。
27にして初めて「俺は遅咲きの神童だったのか…」と自分が末恐ろしくなったが、やはりそんな異常事態は長くは続かなかった。その1年後の年末、「去年の暮れはよく飲んだな~」という自負があったので目いっぱい飲みの予定を入れた。ところが、わずか1年で飲める量は半減していた。そのうえ、連日の飲み過ぎがたたり、月半ばにして一晩でジョッキ1杯も飲めなくなった。完全に体が酒を拒否していたのだ。
以降、ゆるやかに飲める量は減っていった。それまでは記憶を失わなかった量で記憶を失い、それまではリバースしなかった量でリバースし、それまでは寝落ちしない時間に寝落ちしたりした。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ日々だった。
ところが、一筋縄ではいかない。ここ最近、またゆるやかに飲める量が増えているのだ。先日もビアガーデンでジョッキ10杯程度は飲めた。4~5杯で終わりかなと思っていたので自分でも意外だった。だからこそ今、飲み過ぎには気を付けなければと思っている。
この人生の飲める量曲線は一体何によって決定されるのだろう。よくはわからないのだけど、多くの人が言うように「昔は飲めて、今は飲めない」みたいな単純な線ではないはず。「飲める時期」と「飲めない時期」が交互に訪れ、人それぞれ実に個性があるのではないかと思う。僕は自分自身を興味深い対象として、今後もこの分野を研究していきたい。最終的にじいさんになってから27歳超えを果たし、自分が「大器晩成型の神童」であったことを証明したいと祈念している。