嫌いな味覚を克服できてしまう不思議な現象


 味覚は年齢とともに変化する。

 このよく耳にするフレーズは、半分正しいけれど、半分正しくないと思う。

 例えば僕の場合、確かに小さな頃に食べられなかったピーマンや生魚は食べられるようになった(正確に言うと、ピーマンは「好き」に近く、生魚は「食べられる」に分かれる)。けれど、物心ついたときから嫌いだった梅干しやトマトはいまだに苦手なまま。

 かつては同じ「嫌い」というカテゴリーにいた食べ物が、年とともに「好き」「食べられる」「嫌いなまま」へと枝分かれしてゆく。脊椎動物の進化のように。一体何が3つの方向性を決定付けているのだろうか。

 さらに言うと、「嫌いなまま」カテゴリーにもグラデーションがある。かつてトマトが接触したレタスも食べることができない程だった。ところが、今は隣のレタスどころかトマトそのものも我慢すれば食べることができるよう進化している。一方、梅干しは依然として一欠けらも食べられないまま。しつこい油汚れのように、頑と「嫌い」のスタート地点にこびりついている。重曹を用意しなければならない。いや、もしかしたら実はそれでもちょっとずつは食べられる方向に進んでいて、500歳くらいになったら食べられるようになっているのかもしれない。長生きしなければならない。

 よくよく考えてみると、酸味が苦手なのである。酢飯や酢のもの、しめ鯖といったお酢を使った料理はかなり苦手で、人が「ちょっと酸っぱい」と言ったものは僕にとって「とても酸っぱい」に変わる。人が「酸っぱい」と言ったものは基本的に食べないことにしている。たぶん人が「とても酸っぱい」と言ったものを食べたら、卒倒してしまうだろう。それは避けなければならない。

 ところが、である。酸っぱいビールの代表格、ランビックは全くもって大丈夫なのである。

 ランビックとは、ベルギーの首都ブリュッセル周辺のごく一部の地域で造られているビールで、とにかく酸味が強いことで知られている。その理由は酵母。普通のビールは純粋培養された酵母を投入して造るけれど、ランビックは空気中に浮遊している野生の酵母(86種類に及ぶ)で発酵させる。そのため、酸味をもたらす酵母も平然と入り込み、酸っぱく仕上がる。

 ランビックはその製法から、自然発酵ビールと区分される。ビールは上面発酵ビール(エール)と下面発酵ビール(ラガー)に大別できるのだけれど、このランビックがあるおかげで例外が発生し、ビールの世界に奥行きを与えてくれていると思う。それゆえ、僕はブリュッセルの方向に足を向けて寝られないとすら思っている(思っているだけである)。

 そんな深い感謝の気持ちがあるからか、ランビックの酸っぱさには異様に寛容なのである。好きなジャンルであれば、苦手も許容できる。つまり、相手が苦手なら、好きなジャンルに持ち込めばいい。…と格言風のことを言いたいので、僕は梅干しやトマト入りのビールが世に出ないことを祈っている。