田舎に暮らすというのはお店を断捨離するということである


 ツイッターで都内のビアバーのアカウントを片っ端からフォローしているので、夕方くらいになるとタイムラインが「本日のビール」で賑やかになる。

 最近はバレンタインデーが近いので、バレンタインビールの樽が打ち抜かれまくっている。バレンタイン当日には、その打ち抜かれたビールのうんちくを語る男が隣にいる女のハートを打ち抜くのだろう。

 僕が住んでいるのは鳥取県の大山町。つまり、行くことはできない。よってフォローしているのは情報収集の意味合いが強い。「こんなビールが出てきたんだ」「この銘柄は人気なんだな」などなど飲めるわけでもない一杯について、ビールへのアンテナを張り巡らせつつ思いを巡らせている(あまりうまくないのでもう止めようと思う)。

 それらの店に行きたいか?と問われると「もちろん、行きたい!」と思うのだけど、「本当に行きたいか?」と問われると(誰が問うんだというツッコミは置いて)、「うーむ。そう言われてしまうとねえ…」とあやふやな気持ちになってしまう。というのは、東京にいる頃もそこまで熱心にビアバー巡りをしていなかったからである。

 新しいお店ができたり、良さそうなお店の情報を耳にしたら、「いつか行こう」、「今度行けたら行こう」と思いつつ結構な数のお店に行けなかった。「絶対に行こう!」と意気込んでいたお店ですら何店か行けないまま移住してしまった。

 東京は店が増えるスピードが尋常ではない。行きたい店リストは膨れ上がるが、時間もお金も有限。さらに、結婚しているといくら「勉強のため、仕事につながるから」という大義名分をかざしても、そんなに頻繁に一人で飲みに行くこともできない。

 結果、「あの店やこの店に行きたいけど、なかなか行けてないなあ…」という状態が当たり前になっていた。これはお店だけではなく、イベントも全く同様。東京には魅力的なイベントが多いけど体は一つ。「行ける可能性がある」というプラス面より、「行けるのに行けなかった」というマイナス面の方がより印象に残るのだ。

 行こうと思えば行けるけど、色々あって行けてない。という状態はストレスだ。東京にいた頃はそれに気付かなかったのだけど、離れてみて初めてわかった。知らず知らずのうちにストレスを溜め込んでいた。今は中途半端な可能性が残されていないので逆に清々しい。諦めがつく、という感覚だろうか。




 これは何かに似ていると考えて浮かんだワードが「断捨離」。この言葉を提唱したやましたひでこさんによると、「断捨離とは、モノへの執着を捨てることが最大のコンセプトです。モノへの執着を捨てて、身の周りをキレイにするだけでなく、心もストレスから解放されてスッキリする。これが断捨離の目的です」だそう。まさに田舎暮らしは、ビアバーやビアイベントの断捨離ではないか。

 都内のマンションの一室。「今日、あのビアバーで箕面のゆずホ和イトが繋がったんだよなあ…」と思いつつ、部屋で悶々とのどごし生を呷り、「週末はベルギービールウィークエンドがあるけど、子どものおむつを買いに行かないとなあ…」と呟く。

 そんな生活よりも、

 ツイッターでビアバーの情報を収集しながらも「まあ、行けないしな」と微笑みながら(誰に微笑んでいるんだというツッコミは置いて)ノートパソコンを閉じ、自宅でのんびり夕食をとり、食後のひとときにとっておきのボトルのクラフトビールを飲んで「最高だな」と一人ごちる。

 …そんな田舎暮らしの方がいいもんねー、と僕は思うのだ(決してモニターは滲んでいない)。