食品サンプルのフォークは、今日も、浮いてるか?


 お見合いの席ではないけど「ご趣味は何ですか?」と昔聞かれたことがあって、「食品サンプルですね」と間髪入れずに答えたら、「しょ、食品サンプルですか…」と困惑されたことがある。困惑させようとそう言ったのだから、してやったりだった(相手が困惑する言葉を投げかけて狙い通りの表情を見るのも僕の趣味の一つである)。

 食品サンプルである。レストランや喫茶店などの店先にあるあの物体だ。およそ趣味にするものではない。でも、僕は食品サンプルに言い知れぬ魅力を感じる。街中を歩いていて食品サンプルを見つけると、鮮やかな花弁に吸い寄せられる蝶のようにフラフラと近付いてしまう。

 そして、なめ回すように見る。いや、食い入るように、の方が近いかもしれない。大差ないかもしれない。困ってしまうのは、その姿が「めちゃめちゃお腹を空かせている人」にしか見えないことだ。瓜二つと言っても過言ではないため、区別が付けられなかった店員さんに「どうぞ中へ」とよく言われてしまう。「店員さんに“どうぞ中へ”と言われた数ランキング」があったら、僕は国内でも結構上位に食い込める自信がある(食品サンプルは日本固有の文化なので世界でも上位に食い込めると言って全く差し支えない。むしろ自分で自分を褒めてあげたい)。

 そんなときはたいてい、アルカイックスマイルを浮かべながら「いや、見てるだけですので…」と事実をありのままに伝えるのだけど、店員さんは「中にもメニューがありますよ」と言ってくる。これは非常に困る。こちらとしては「中にも食品サンプルがあるんですか?でしたら入りますよ」なのだが、どうせ中のメニューは文字だけなのだ。文字なんて何の価値もない(ライター失格かもしれない)。

 つまり、食品サンプルを見ているときに店員さんに声をかけられるのは面倒でしかない。洋服屋さんでも「何かお探しですか?」と声かけされた瞬間、アルカイックビタースマイルを浮かべながら「ええ、まあ…」と言いながら後ずさりで店を出てしまう。

 特に、大好物の“浮き系”サンプルを見ている僕は本気(そのままほんきと読んでほしい)だ。それは麺類に多い。王道はやはりフォークの浮いたナポリタンである。僕はナポリタンが食べ物として大好きなのだけど、食品サンプル界を一身に背負ってくれている、まさにバブルという時代を体現し続けている荒木師匠のような威容に惹かれているという側面も小さくないのである。

 また、食べ物のみではなく、僕は奥の方にあるドリンクのサンプルにもドモホルンリンクルの工場員並に目を光らせている。ここでブレンドコーヒーのサンプルとしてカップの中にコーヒー豆を入れてお茶(コーヒーと言うべきか)を濁しているだけなのか、はたまたきちんと黒い液体まで表現してくれているのか、そのサンプルにかける店の意気込みを冷静に判断する(なお最高点はコーヒーフレッシュを垂らす瞬間を浮きで表現しているお店である)。

 もちろん、生ビールも重点チェック項目の一つだ。泡はいいバランスを保っているか、黒ずんでいないか、トータルでシズル感、躍動感があるのか。返却された車を念入りに見るレンタカー会社のスタッフのように一つひとつ点検する。ときには一人「ちょっとへこみがありますね…」と呟いてしまうくらいこちらは真剣だ。毎日が青春と言っても一向に差し支えない。

 そんなわけで、もし飲食店の店員さんがこれを読んでくれていたら、店先の食品サンプルを眺めている人間は2パターンに分かれるのだということを、頭の中央に置いていただきたい次第である。

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