2003年、下北、夏休みのない8月


 
 

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 ちょうど12年前の2003年7月。僕はとある女性のナンパに成功した。

 その年の3月、大学を卒業した僕は自宅が後楽園、職場が渋谷と通勤圏だったにもかかわらず下北沢で一人暮らしを始めた。家に不満はなかったし、「実家にいた方がラクだよ」「お金もたまるよ」と多くの人に反対されたのだけれど、社会人になったのだから独立しようとさっさと部屋を見つけて引っ越した。

 近所には一人も知り合いがいない。当時、餃子の王将の目の前に昼間はワゴンの古着屋、夜になると飲みスペースに変わる自由過ぎる半分屋外のライブ空間があった。仕事が終わるとそこへ繰り出し、夜風を浴びながら音楽を聞いて、ビールを呷っていた。誰かと仲良くなりたいと思っていたのだが、そこではついに誰とも知り合えなかった。

 人恋しさが募った僕は週末になると下北沢の北口に繰り出し、女性に声をかけるように。大学時代、仲間たちとよくナンパに励んでいた名残が22歳時分ではまだまだあった。大学の頃の友人を下北に呼んで、一緒に行動したこともあったけど、単身で行くこともよくあった。「草食系」なんて言葉はない時代だった。

 なぜかよく覚えているのだけど、その日は昼過ぎから一人で始めたものの散々で、7時くらいに駅へと向かう小柄な女性に声をかけて打ち切ろうと思った。辺りは暗くなり始めていた。立ち話をすると年が近く、あっという間に意気投合して一緒に飲むことに。駅からほんのちょっと歩いた2階にあるやたらヒスイが並ぶバーで、飲みながら色々な話をした。

 店を出て、駅で別れた。彼女は小田急線沿線に住んでいたので、またすぐに会える。家への帰り道、天にも昇る気持ちだった。その日からメールでやりとりをするようになったのだけど、雲行きが悪くなった。これも当時はなかった言葉だけど、彼女は今で言う「メンヘラ」だった。「生きる、死ぬ、自分が嫌い、自殺したい」と内容が重い。またか…と思った。僕と気が合う女性はなぜか精神が不安定な人ばかりだった。

 陰鬱な気持ちで2003年の8月を迎えた。その年は全国的に冷夏で、天気はずっとぐずついていた。仕事を終えて帰宅すると、『熱闘甲子園』が放送されていた。テーマソングは森山直太朗の『夏の終わり』だった。仕事は忙しく、夏休みは取れない。物心ついてから初めての夏休みのない8月だった。淡々と仕事をこなし、精神を病んだ女性とは会わずに救いのないメールのやりとりを延々した。友達はいないままだった。

 ちょうどその頃だ。家から徒歩2分の路地にバーができたのは。僕は人生で初めて、行きつけのバーを持った。そこに行けば誰かに必ず会える。探し求めていた場所だった。その年、9月の下旬に夏休みが取れた。8月はずーっと天気が悪かったけど、9月に入ってようやく夏らしい日が訪れるようになっていた。連休に飽きつつ他にすることもないので一人、炎天下の古着屋巡りをしていると、バーの友人たちと遭遇した。そのバーではなく、みんなで別の居酒屋へ行くというので僕も参加して、しこたま生ビールを飲んだ。あの日、「ああ、この街で生きていけそうだ」と思った。その後、近所の友達が急激に増えたため、下北沢でナンパをするのは一切やめた。相も変わらず精神不安定な女性たちとは奇妙な接点を持ち続けて、こちらまで要らぬ心労を負ったりもしたけれど(結局、7月に出会った女性とは一度も再会することがなかった)。
 
 
 
 初めて一人暮らしに選んだ街は巨大な迷路だった。街の中でも、仕事でも、人間関係でも見当はずれの場所にたどりついてばっかりだった。でも、その多くは実家に残っていたら決してたどりつけなかった、人生を豊かにしてくれる場所だった。

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