素直なロックスターは洗脳される


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 僕は2人のToshiのファンである。一人はグアムでビールを創っている石井敏之さんで、もう一人はX JAPANのToshl。前者のToshiさんについては、またグアムで取材を行った暁に文章を書きたい。これから書こうとしているのは、XJAPANのToshlについてである。先日、彼が出版した『洗脳 地獄の12年からの生還』を読了した。

1980年生まれの僕らの世代が思春期になり、音楽を聴き始めたとき、日本のロックバンドの頂点にX JAPANが存在した。今ではジャニーズの独壇場となっている大晦日の東京ドーム公演も、かつてはX JAPANが恒例行事にしていた。その頃、東京ドーム周辺に住んでいた僕は、年末になると街なかに突如として現れる黒服姿のファンを楽しんでいた。「すごいお姉さんたちがいる!」と。

X JAPANというバンドは、バンド本体としての動きがおそろしく鈍かったように思う。僕が高校一年のときにリリースされたアルバム『DAHLIA』には、中一のときに出たシングル『Tears』が収録されていたくらいだ。常人ではないリーダー、YOSHIKI主導で全てが動いていたからだろう。そんなわけで、X JAPANはメンバーのソロ活動も活発だった。ギターのhideの人気がすごかったが、僕はToshiの声が好きだった。特に4thアルバム『蒼い宇宙の旅人』は画期的だった。完全にヒーリングミュージックなのだ。が、僕はすぐに虜になった。今でも人生の2大名盤として君臨している(もう一方は、STINGの『Mercury Falling』)。

その直後、ToshiはX JAPANを脱退し、ボーカルを失ったバンドは解散に至る。さすがに解散ライブには行けなかったけど、僕はToshiのソロライブを一人観に行った。ライブの幕開けとともに異様な女性ファンたちの叫び声が耳をつんざいた。終盤、彼が「僕の大切な人の曲を歌います」というMCとともに披露したのが『君はいないか』というナンバー。その曲こそ、Toshiを洗脳に陥れた男が書いた曲だった。

それから程なくして、ワイドショーなどを中心にToshiの洗脳騒動が巻き起こった。テレビ出演するToshiの視野の狭い物言いに残念な気持ちを抱いたが、100%非難する気持ちにもなれなかった。と言うより、かなり同情的だった。いわゆる普通の人間だったのにこれまで虚勢を張り続けることを余儀なくされ、今になって無理が来てしまったのだろう。仕方ない、と。Toshiは洗脳騒動の後、「詩旅」と称して全国を巡る音楽活動を始めた。その頃、不定期でブログを更新しており、僕はToshiのメッセージを読み続けていた。そのブログでToshiは、壊れたテープのように毎回同じことを繰り返し語っていた。「これまで虚勢を張っていたけど虚しかった、何かになる必要はない、背伸びは止めよう」云々といった内容だ。それでも僕は定期的にブログを閲覧していた。Toshiが幸せを感じているのならそれでいいのではないか、とも思っていた。

そんなToshiへの見方が完全な誤りだったと著書を読んでわかった。あまりにも酷過ぎて現実に思えず、下手なサスペンスを読んでいるようだった。洗脳に陥れた男は言わずもがなとして、元妻の非人間的な罵倒や暴力行為に衝撃を受けた。スターではなくても、同じ価値観の妻と共に本当にやりたいことをやって生きていると思っていたので、僕もすっかり騙されていたことに気付いた。

厳しいようだけど、Toshiは被害者であると同時に加害者である。Toshiが勧めているからと入信し、全てを失った被害者もたくさんいる。それを重々わかったうえで、今の僕はやはりToshiを責める気にはなれない。Toshiの純粋さ、素直さを利用した側に強い怒りを覚える。

この本を読んで一番感じたのは、今の時代における「素直さ」の弊害である。いや、いつの時代も疑いを知らない素直は、力のある者に悪用されてきたのかもしれない。宗教や国といった話に限らない。今話題になっている「ブラック企業」や「社畜」だって洗脳と同じ構造を持っていると思うけど、これは多くの人に直接的間接的に関係がある話だ。

最近、子育てをしているのだけど、「これは悪いことだ」と叱り、自分たちの都合の良いように子どもをコントロールすることと洗脳ってどう違うのだろう、と思う。たぶん仕組みは同じだ。かと言って、世の中から素直さが消えたら全てが滞り、瞬く間に秩序が乱れてしまう。つまり、素直さとは包丁のようなものなのだ。使い方にはよっては誰かを幸せにできるけど、誰かや自分を殺すこともできる。

「素直は素晴らしいこと」。誰しもそれはわかっている。これからは「素直は危険なこと」という視点も極端だけど共有する必要がある。子育てでも、子どもの素直さを大歓迎しながら、同時に「疑うこと」「ひねくれること」「頑なであること」の大切さも教えてゆかなければならないのでは、と思っている。難しいだろうけれど。