呼び捨てできないひと


 
 

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 ちょうど一年前の今日、第一子が生まれ、「穏広(やすひろ)」と命名した。昔から争いごとが嫌いだったこともあり、「穏」という漢字が好きだった。「穏」は普通音読みで「おん」と読むけど、「やす」とも読む。そこで、自分の「竜広」の「広」と合わせたのだ。

 一字でも自分の漢字を子どもに与えると、人に「(なんだかんだ言って)あの人、自分の名前が好きなのね…」という印象を与えるようである。率直に言って、僕は自分の「竜広」という名前が気に入っている。滅法弱いのに「ケンカが強そうな名前だよね」とよく言われるし、干支は辰ではなく申だし、説明の際に「簡単な方の“りゅう”です、いや、まあ、あの…そのつまり竜田揚げの“たつ”です」と頬を赤くして言わないと伝わりづらいにもかかわらず。

 ただし、残念なこともある。それは、下の名前を呼び捨てにされることがほぼない点。

 おそらくそれは、4文字であることに起因している。だが、世間には下の名前が4文字なのに呼び捨てにされるケースが、EXILEのTAKAHIROを筆頭によくある。その違いは何か、と考えてみると、苗字の視点が出てくる。僕は「矢野(やの)」の2文字である。それゆえ、下の4文字をこねくり回すより、「矢野」とか「矢野くん」とか無難な苗字の線でまとまってしまうのである。もし僕が「渡辺竜広」だったら、友人やクラスメートから「タツヒロ」と呼び捨てにされ、甘酸っぱい青春が歩めたかもしれない。が、「なべ」と呼ばれる危険性も同時に高まったかもしれない。

 その点、下の名前が3文字の人はいい。呼び捨てに最適である。あきら、たかし、たいち、ATSUSHI。皆なんて爽やかな響きだろう。テニスで汗を流し、女子の視線を集める男はだいたい3文字なのだ。彼らは女子に対しても「○○さん」と苗字ではなく、下の名前で呼び捨てにしてしまう。おそらく彼らの場合、苗字が何であろうと関係ない。もし僕が「矢野ATSUSHI」だったら、友人やクラスメートから「ATSUSHI」と呼び捨てにされ、歌まで上手だったかもしれない。が、「ふるさと」まで歌わされる危険性も同時に高まったかもしれない。

 下の名前を呼び捨てにされたい。特に女子から呼び捨てにされて、「矢野くん、○○(苗字)さん」で呼び合う関係では築けないものを築きたい。僕はそう願い続けた。たかが呼び方、されど呼び方。親密な下の名前で呼び合うことで、人間同士は親密になるはずと堅く信じていた。そして、ついにその願いが叶うときがやって来た。大学に入学し浮かれた僕は、サークル界で横綱級に軽いテニスサークルというものに顔を出してみることにした。おそらく今もそうなのだろうけど、たいていの私大のテニスサークルは部員同士を下の名前で呼び合うという習慣がある。同級生はもちろん下の名で呼び捨てし合い、たとえ先輩でも「HIROさん」「彩さん」などと下の名前にさん付けで呼ばなければならない。

 僕は小躍りしながら、テニスサークルの新入生歓迎飲み会に参加した。だが、そこで別の洗礼を受けた。「リンダリンダ」の替え歌「瓶だ瓶だ」で馬鹿みたいに瓶ビールを一気したり、着ている服を頭に被って両手のジョッキを飲み干す先輩たち。とにかく面食らった。彼らの橋本聖子コールが虚ろに響いた。飲みの席では、確かに女の子から下の名前を呼び捨てにされた。でも、自分からは会ってすぐの人を下の名前で呼ぶことがどうしてもできなかった。そこで気付いてしまった。

 自分には女性を下の名前で呼び捨てするために必要な男としての何かが決定的に足りない、と。

 それは、度胸かもしれないし、包容力と言えるかもしれないし、単にPRIDEなのかもしれなかった。テニスで汗を流し、女子を下の名で呼ぶ3文字の男たちにあれほど畏敬の念を覚えたことはなかった。あの日から15年が経過しこんな世界を愛するため努力してきたが、驚くべきことにいまだに僕は女性を呼び捨てにできない。まだまだ旅の途中だ。

 今日1歳の誕生日を迎える息子には、父が跪いたその壁を軽々と乗り越えて欲しい。陽がまたのぼってゆくように。

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