退屈なビアガーデン


 トルストイの長編小説『アンナ・カレーニナ』の冒頭に、

 「幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれ違うものだ」

 という有名な一節がある。僕はこの言葉を折に触れて思い出す。幸福な形のバリエーションは少ないが、不幸のバリエーションは豊富。本当にそう思うから。

 真夏である。甲子園の一回戦が続いている。今年もビアガーデンに行こうと思っている。なんだかんだ言って、毎年一回はビアガーデンに行っている。気心知れた人と枝豆やフライドポテトをつまみながら、笑顔でジョッキを重ねる。だいたい毎年そうだ。

 が、なんだかつまらないなあ、と思ったビアガーデンの記憶もある。大学生の頃、バイトしていたカフェで一緒に働いていた同い年のY君と社員のHさん、僕の男3人で行ったときのこと。池袋の西武デパートの屋上に着いたときはまだ夕方だった。東口の高層ビルが夕陽に染められ、綺麗だった。夕方だったにもかかわらずスーツ姿のサラリーマンが多く、皆開放的な気分に浸っているようだった。僕ら3人はそんなに盛り上がっていなかったけど、周囲が賑やかなので助かった。言葉を交わさなくても、それでなんとかなっていた。言葉のないテーブル、池袋の夕陽、味気のない枝豆。なぜか楽しかった記憶以上に僕の頭に焼き付いている。

 社員のHさんは、人から嫌われる天才だった。彼の上に立つ店長からは、会うたびごとに延々愚痴を聞かされた。お客さんからも文句を言われる。せっかくアルバイトが入ってきても、彼が嫌で次々に辞めていく。彼とマンツーマンで指導を受けた新人君が、わずか1時間で辞めてしまったこともあった。Hさんを3語で表すなら、横柄、無愛想、無気力。誰にでも一つは長所がある、というけれど、探すのが困難だった。

 僕はだからこそ興味を持った。好奇心があった。辞めるのは簡単だし正解だということもわかっていたけど、続けることで何が見えるか知りたくなった。辞めたら負けのゲームだ、と心に決めた。

 そのゲームは難易度が高かった。もちろん攻略本もなかった。一度理不尽極まりないことで激怒され、ゲームオーバーしそうになった。でも、諦めなかった。一度彼と衝突して辞めた女性スタッフから電話で泣きながら、「お願いだから辞めて」と懇願されたこともあった。バイトがいなくなれば彼への仕返しになるのに、僕がいるから何とかなってしまう。復讐に協力して欲しいとのことだった。が、やんわり断った。途中で投げ出すわけにはいかなかった。彼女から「あなたも馬鹿なんじゃないの?」と呆れられた。

 最終的に僕はそのゲームをクリアした。大学を卒業することになった。達成感があった。あれほどの人間はそういない。とてつもない経験値が得られた。と思った。ところが、それは錯覚だった。いい人はみな同じように似ているが、いい人ではない人もそれぞれ違うものだった。これまた折に触れて思い出す村上春樹の『ノルウェイの森』のこの一節が刺さる。

 「我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ」

 対人関係で学び取ったことも、次に現れる予期せぬ人に対しては何の役にも立たなかった。でも、僕はこれからも個別の経験から何かを学びとり続けるだろう。それしかできないのだから。
 
 
 
 「なんでお前ら以外のバイトはすぐ辞めるんだろうな」。
 
 ジョッキを置くと、頬を紅潮させたHさんは不思議そうに呟いた。僕とY君は一瞬、顔を見合わせて笑ってしまった。「なんだよ、お前ら」とHさんも笑っていた。池袋東口の空に、夜の帳が下りていた。

a0007_002698