帰宅師範代への道


 ポケットから鍵を取り出し、ガチャっと鍵を回して部屋の扉を開ける。玄関の電気のスイッチをオンにするとともに、靴を脱ぎ部屋の中へ。鍵をテーブルの上に置き、冷蔵庫の中から缶ビールを取り出してフタを開ける。テレビのスイッチを入れながら片手でネクタイをゆるめ始める。そしてビールを一口。

 ドラマのワンシーンのような、驚くべき理想的な帰宅後の画だ。僕は毎日こういう帰宅ができたら、どんなに素晴らしいだろうと思う。

 学校で学ばない大切なことはたくさんあるが、帰宅の方法もその一つである。半田付けの方法を中学の技術の時間に教える代わりに、優雅に帰宅できる力を身につけた方が何倍もためになる。なぜなら帰宅は毎日のことであり、にもかかわらず難解極まりない行為だからである。

 まず円滑な帰宅を阻害する要因に、郵便受けに挟まれたチラシがある。うっかりこれを手にして部屋に入ると、それを捨てたいという余計な欲望が発生してしまう。また、靴を脱ぐ際、利き手を使う大きな障害となりかねない。

 また万一、コンビニエンスストアで牛乳などの飲み物を買って帰った場合、これはチラシ以上の阻害要因だ。なぜなら早く冷蔵庫に入れたいという欲望が、我々の冷静な判断力を鈍らせるからである。同様に重いカバンを持って帰ってきた際も、早く床に下ろしたいという欲望を招く。

 次に電気をつけるという行為が帰宅にはつきまとう。これは一見簡単なようだが、既に述べたような欲望が発生していると、途端に困難なものとなる。明かりをつける方が先か、重い荷物を下ろす方が先か、冷蔵庫に牛乳を入れるのが先か、はたまた鍵をテーブルの上に置く方が先か、厳しい決断を間髪なく迫られるのである。もし夏場だった場合、それらの欲望に加えて、クーラーをいち早くつけたいという強い欲望が我々を惑わせる。

 電気をつけても一切油断はできない。帰宅直後ほど「油断は禁物」というフレーズが似合う時間帯はおそらくないだろう。お風呂のお湯をためなきゃ、先にパソコンを立ち上げよう、服を脱ぎたい、麦茶が欲しい、郵便受けに入っていた手紙の中身を見たい、巨人があのまま逃げ切ったかテレビで確認しよう、という具合に次から次へとしたいこと、そしてしなければならないことが押し寄せる。一体帰宅後の他にいつ、これほどまでに膨大かつ多様な作業を、順序よく一つ一つ片付けなければならない時間があるのだろうか。一体反語表現を使わずして、この困難さを表現できるのだろうか。

 一歩判断を誤ると、重いビジネスカバンと牛乳が入った買い物袋を手にしたまま風呂場に行ってしまい、蛇口をひねるために利き手ではない方の手に、重いビジネスカバンと牛乳が入った買い物袋の2つを無理矢理持たせ、左腕にのしかかる重圧に耐えつつようやく蛇口をひねろうと手を伸ばしたその瞬間、利き手に黄色の粗大ゴミ回収のチラシと鍵が握られている上に、室内ではクーラーもテレビもつけられていないというナイトメアも簡単に起きうるのである。

 英会話を習う代わりに、僕は帰宅5段から帰宅の作法を習いたい。もし帰宅6段が経営しているスクールがあるなら、外国へ留学にだって行く。格安チケットで飛ぶ。入学時に圧迫面接があるなら、それにだって耐える。レッスン中に灰皿を投げられても歯を食いしばって忍耐だ。卒業式の日にだって、尊敬する恩師が禁止するなら卒業証書の筒をスポンスポン鳴らさない。式が終わったら校友とともに外に出て、スクール帽を青い空に放り投げる。そして帰宅の師範代になって帰国したら、部屋に帰って優雅で流麗で完璧な帰宅後を演じてみせるのだ。

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